世界史において、最も有名な市民革命である「フランス革命」。
聞いたことはあるけど、なにが原因でどんなことが起こったのか、知っている人は少ないのではないでしょうか?
世界の偉人の中でもとくに有名な、マリーアントワネットやナポレオンが生きた時代でもあります。
今回は「超有名だけど内容は全然わからない」そんなフランス革命について簡単にまとめてみたいと思います。
フランス革命とは?
フランス革命とは、1789年から1799年にかけて約10年に渡り行われた、フランス市民による革命運動のことです。
今から約200年前、フランスの王様は色々なことにお金を使い過ぎてしまいました。そこで王様は、国民からもっとお金を貰おうと考えたのでした。
ナポレオンの登場に市民歓喜!
その頃のフランスには、裕福な人が少しと、貧しい人が沢山いましたが、裕福な人はとても偉かったので、国にお金を払わなくてもよかったのです。
なんだかとても不公平ですよね?
当然、貧しい人たちはとても怒り、みんなで集まって王様を倒そうとしたのですが、王様はびっくりして他の国に逃げようとしました。
貧しい人たちは、国民を捨てて逃げようとした王様にさらに怒って、王様を殺してしまいました。
これを知ったまわりの国の王様たちは、「自分たちもフランスの王様みたいに殺されてしまうかもしれない!」と考え、フランスは敵だらけになってしまったのです。
王様がいなくなってしまったフランスでは、今までより良い国にしようと、色々頑張っていたのですが、どれも失敗に終わってしまいます。
国民は、「新しく国をまとめてくれる強い指導者が欲しい!」と考えるようになりました。
そこへ現れたのが、強くて賢い“ナポレオン”でした。
ナポレオンは新しい国の指導者になって、国内外の問題を解決してくれたのでした。
以上がフランス革命の簡単な流れになります。それでは、もう少し詳しく見ていきましょう!
フランス革命が残虐だと言われる理由とは?
10年にも及ぶフランス革命ですが、革命運動に関する死者は、約200万人といわれており、沢山の犠牲者を出しました。
当時のフランスは、王様がとても強い権利を持っていたので、少しでも気にいらない人がいるとすぐに牢獄に閉じ込めて、バンバン処刑していたのです。
革命運動のなかでも、8月10日事件は死者数が1000人にも及んだと言われており、この事件で“王家・貴族狩り”が始まりました。
この王家・貴族狩りにより多くの貴族が、見つかり次第問答無用で殺されました。
王妃“マリーアントワネット”の友人であったランバル公妃も、衣服をはぎ取られ、首をはねられ、遺体が踏みにじられるという酷い殺され方をし、市民は切り取ったランバル公妃の首を掲げて街を行進したそうです。
さらに、国王処刑した後にもロベス・ピエールという凶暴な人物が登場し、反対勢力を次々ギロチンで処刑していったのです。
悪いことを、してもしなくても処刑されてしまうなんて、今では想像もできないほど恐ろしいですね。
革命前のフランスはどんな国だった?
10年もの長い間、国を良くするために活動し続けなければならないなんて、革命前のフランスの状況はどれほど悪かったのでしょうか?
絶対王政とはどんなもの?
フランスで絶対王政が一番力を持っていたのは、ルイ14世の時代です。
ルイ14世は5歳で王様になり、反対勢力がいなかったことから、強大な権力を持ち太陽神とも呼ばれていました。
ルイ14世は、幼いころから「ルイ14世の権力は神から授かったものである」という王権神授説を教えられて育ち、これを本気で信じていました。
このため、ルイ14世はわがまま放題にお金を使いまくり、城を建て、戦争をしました。
幼いころからの教えの通りに生きたルイ14世も、ある意味被害者の一人であったのかもしれませんね。
権力をもつものと、そうでないもの!3つの身分とは??
フランスでは当時3つの階級に分かれていました。
第一身分である聖職者、第二身分である貴族、第三身分である平民です。
さらに第三身分の中でも、富裕層、一般層、貧困層というように分かれていたのです。
驚くべきはその割合なのですが、第一身分と第二身分が合わせて2%、平民が98%、その中でも貧困層の割合が90%だったのです。
当時のフランスは、国民の90%が貧しい状況という、とんでもない時代だったんですね。
革命前のフランスの財政は?
ルイ14世の時代から、ベルサイユ宮殿を建てたり、無駄遣いばかりしていたうえに、ルイ16世の時代に起きた、アメリカ独立戦争の支援などで、当時のフランスは破綻寸前でした。
しかも、当時のフランスでは、第一身分と第二身分は税金が免除されていたため、貧しい第三身分だけが国に税金を納めていたのです。
フランス革命がおこった原因は?
国民たちは徐々に国王に対する不満が溜まっていき、ついに我慢できなくなってしまいます。
宗教弾圧や理不尽な身分制度で、国王に不満を持っていた市民の間に「人の理性を大事にしよう」という”啓蒙思想”が広まりはじめました。
この思想が広がっていったことで、「王権神授説」は徐々に否定されていき、国民は不平等なフランスの状況に不満がふくらんでいきます。これがフランス革命が始まる大きなきっかけとなりました。
三部会の開催
三部会とは三つの身分の代表者が集まって議論する、身分制の議会です。
フランスの財政難を何とかするために、国王ルイ16世は、財務大臣ネッケルの提案で、第一身分と第二身分の特権階級の国民からも税金を徴収しようと考えました。
しかし特権階級の国民は当然これに反発し、三部会を開くことになりました。これは国王ルイ13世の1614年を最後に、175年ぶりの開催でした。
三部会には、第一身分と第二身分がそれぞれ約300人ずつ、第三身分が約600人集まりました。
1人1票の多数決で決めれば、第三身分に有利な状況ですが、特権階級たちは、階級ごとに1票ずつ合計3票での多数決で決めようと言って引きませんでした。
そのため、1か月もの間会議は長引き、第三身分の国民たちはついに激怒してしまったのです。
1789年6月20日、三部会のあまりのひどさに、完全にブチ切れてしまった第三身分の国民たちは、自分たちで国民議会を開くことにしました。
しかし、会議をする場所がなかったため、球戯場に集まることにしたのです。
これが有名な“球戯場の誓い”です(テニスコートの誓いともいいます)。
彼等の誓いは、「自分たちの憲法を制定する、それまでは国民議会は解散しない」というものでした。
フラン革命の始まり
ついに国王軍VS市民による長い戦いが始まってしまいます。
最初のきっかけは何だったのでしょうか?
国民議会による国民の反発をよく思わなかったルイ14世は、軍隊を招集し武力でなんとか解決しようとしました。
これにより国民は、国王に対しての不満がさらに膨らんでいくのでした。
きっかけはバスティーユ牢獄の襲撃
国王が軍隊を招集したことで国民たちはびっくりしてしまいます。しかし国民議会により団結していた市民たちは、国王と戦う覚悟をしたのでした。
戦う武器のなかった国民たちは、まずパリのバスティーユ牢獄を襲撃して武器を調達することにしました。
当時、バスティーユ牢獄はただの牢獄ではなく、フランス国民にとって国からの圧政の象徴でした。
この襲撃がきっかけで、国王軍VS市民のフランス革命が勃発したのです。
この襲撃があった1789年7月14日は革命記念日として現在はフランスの祝日になっています。
封建的特権の廃止と農奴制十分の一税
バスティーユ牢獄の襲撃のあと、フランスでは各地でデモが起こり、国民が暴走していました。
ただ暴れているだけでは国王軍に勝てない、みんなで力を合わせなければ、と思った国民議会は本腰を入れ、国民をなだめるよう行動します。
国民たちを苦しめていた法律である封建的特権を廃止し、農民が地主に支払う土地代を減らすため農奴制十分の一税という法律をつくり、国民たちを落ち着かせたのでした。
人権宣言
人権宣言とは、「人間は自由で、権利において平等である」といった、自由と平等、国民主権、私有財産の不可略を規定したものです。
これにより多くの市民に同じ目的意識が生まれ、国民は一致団結していったのです。
フランス革命の終了
国民を苦しめていた長い戦いがついに終了します。いったいどうやってこの戦いを終了させたのでしょうか?
パンが高い!女たちの怒り・ベルサイユ行進へ
フランスでは、天候の悪化などで、主食であるパンや小麦粉の値段が、ものすごく高くなっていました。
そのことに激怒したのがフランスの女性たちでした。
1789年10月5日、彼女たちは、「小麦粉が高くなったのは国王のせいだ!」とベルサイユに文句を言いに行ったのです。
そのころ、革命の中心地はパリでしたが、国王ルイ16世はパリ20キロほど離れたベルサイユ宮殿に住んでいました。
彼女たちは、ベルサイユ宮殿まで乗り込んでいき、国王ルイ16世をパリまで連行したのでした。
さすがパリの女性ですね、いつの時代も女は強いということです。
国民が怖い!!国王が逃亡・・・
ベルサイユ行進により、すっかり怯えてしまった国王ルイ16世は、妻のマリーアントワネットの故郷である、隣の国のオーストリアへ逃げようとしました。
しかし、逃亡途中に見つかってしまい、連れ戻されてしまうのでした。
これにより、国民たちは「国王が国民を見捨てて逃げようとした!」という考えが広がり、国民議会により1791年憲法という国王の権限を制限する憲法が制定されました。
法律を制定するまで解散しないという誓いを果たした国民議会は、この憲法制定により解散し、新しく立法議会として生まれ変わったのです。
この立法議会は、王様がいてもいい派のフイヤン派と王様は絶対いらない派のジロンド派という二つの派閥に分かれていました。
2つの派閥の中でも、王様はいらない派のジロンド派の方が力が強く、そのことに恐怖したマリーアントワネットは、故郷のオーストリアに助けてもらおうと思いました。
革命戦争の勃発
マリーアントワネットの頼みで、オーストリア軍はルイ16世たちを守ろうとします。
オーストリア軍と仲の良かった“プロイセン”もこの戦争に参加し、フランス革命軍VSオーストリア&プロイセン軍の“革命戦争”が勃発します。
この戦争が勃発したことにより国民は、「ルイ16世は外国の力を借りてまで国民を倒そうとしている」という考えが広がり、もはや国民の国王に対する不満はMAXまで膨らんでしまいました。
そして国民は、国王のいるテュルリー宮殿を襲い、国王とマリーアントワネットを捕まえて牢獄に閉じ込めてしまいます。
この襲撃を8月10日事件といい、この戦いでの死者数は1000人にも及んだと言われています。
さらに、フランス革命軍VSオーストリア&プロイセン軍の戦いもヴァルリーの戦いを経てフランス軍が勝利します。
なんだか国王は何をやっても裏目に出てしまい、国民を怒らせてしまいますね。
国王が処刑されたのに革命が終わらない?
国内にも国外にも味方がいなくなってしまった国王ルイ16世と、妻のマリーアントワネットは1793年1月21日、ついにギロチンにより処刑されてしまいます。
フランス国王が処刑されてしまったと知った、フランスの周りの国の王様たちは、「自分の国でも同じ事が起きたらどうしよう」と怯え、早くフランス革命を倒さなければと思います。
そこで、イギリスの ピット首相はヨーロッパ諸国の王たちと第一回対仏大同盟を結成しフランスを攻撃してくるようになるのです。
一方、フランス国内では、国王いらない派のジロンド派に代わり、ジャコバン派という派閥が力を持つようになっていきました。
そしてジャコバン派の中でも、一番偉いロベス・ピエールという人物はとても凶暴で、反対勢力を次々ギロチンで処刑していきました。
しかし、市民から反感をかった“ロベス・ピエール”は1794年“テルミドール反動”によって処刑され、独裁政治は終了したのでした。
総裁政府
国王を処刑した後も、様々な議会が行われますが、生活はよくならない上に、一向に革命は終わらず、国民は疲れ切っていました。
政府はこれまでの反省を踏まえて、独裁政治にならないように5人の総裁を決め、“総裁政府”と呼ぶことにしました。
しかし、5人もいると物事を決めるときに、話がまとまるのに時間がかかってしまい、総裁政府はあまり役にたちませんでした。
国外では敵に囲まれ、国内ではクーデターが頻繁に起こり、フランスはもうめちゃくちゃな状態だったのです。
英雄ナポレオンの登場
問題を山のように抱えたフランスの国民たちは、強くて賢い指導者を求めていました。
そんな時現れたのがナポレオン・ボナパルトでした。
当時27歳だったナポレオンは、国外遠征を重ね、たくさんの戦いに勝利し、第一回対仏同盟を破った、まさに英雄でした。
ナポレオンはブリュメール18日のクーデターにより総裁政府を倒し、統領政府を作ります。
ナポレオンは統領政府の第一統領となり、イギリスと和平を結び対仏大同盟を解散させ、さらにナポレオン法典を定めました。
その後ナポレオンは国民の人気により、国民投票によって選挙でえらばれ“ナポレオン皇帝”になったのです。
こうして新しく国のトップになったナポレオンは、「革命は終わった!」と宣言し、フランス革命は終結したのでした。
フランス革命のその後
フランス革命が終了したことで、王様が絶対的な権力を持っていた絶対王政から、国民全員が権力を持つ新たな体制へと変わりました。
「人々は生まれながらにして自由であり、平等だ」という考えが広まり、国民が政治と関わることが出来るようになりました。
フランス革命とは?どんな革命だったのかわかりやすく解説!まとめ
いかがだったでしょうか? 当時のフランス国民がいかに苦しい思いをしていたのかを知ることが出来たでしょうか。
フランス革命は、とにかく様々な人たちが様々な政策で国を良くしようとしますが次々失敗に終わり、独裁者が現れたり、他の国が介入してきたりと、とにかく複雑で残酷で知れば知るほど面白いですね。
フランス革命を知ったことで世界史がもっと好きになって頂けたら嬉しいです。
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参考文献は河出書房新社の「図説フランス革命史」
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