こんにちは、皆さん!
今日の話題は、カンボジア国民の約200万人!を虐殺したと言われるポルポト政権の影響と最後についてみていきたいと思います。
さっそく20世紀の最後まで世界を騒がせた、ポルポト政権の影響と最後を、いっしょにふり返りましょう!
ポルポト政権ってやばい・・
ポルポト政権は、1975年に首都プノンペンを占拠し、カンボジアを支配し始めました。そのやり方は、ポルポト独自の原始共産制!
ぶっちゃけ、人類の歴史の中でも、最悪レベルの悲惨な支配でした。。。
げ、原始共産制? 何それ?ですよね。
ポルポト政権は手始めに、カンボジアの都会に住む人たちを全員、地方へ、無理やり移住させます。同時に、全国民から、持ち物も、お金も、家も、ぜーんぶ取り上げます。
その上、学校、会社、役所、そして、通貨(おカネ!)まで廃止して、家族もバラバラにしました。
最後の仕上げで、全国民を農民にして、ほんの少しの食料を与えて、死ぬまで働かせたのです。
しかも、機械は使わず、全部、手足でやれ、農薬も肥料もダメ!
あまりのトンデモぶりもあり、4年もしない内に、ポルポト政権は、首都プノンペンを追い出されて、崩壊してしまうのです・・
ところが、首領のポルポトとその一味はクメールルージュと呼ばれ、その後、約20年間もカンボジアのジャングルを支配して、殺し合いを続けてたんです!
クメールルージュ? 不思議な言葉ですよね。
クメールはカンボジア人の意味、ルージュはフランス語で赤、つまり、共産主義のことなんですね。
ということで、政権崩壊後の、ポルポト一派を、クメールルージュと呼ぶことにします。
あぜ道を歩いて爆死?地雷の数は○○万個?

皆さんは、道路を歩いていて、気をつけるものは何でしょう?
日本なら、爆走するバイク、でっかいトラック、そして、たまに歩道を走ってくる自転車ですかね?
まさか、道が爆発する心配はしないでしょう?
でも、カンボジアでは、違います! そして、これがポルポト政権の影響の一つなんです!
地雷が奪う命、手足、そして。。
1997年のある日、カンボジアの村での出来事です。12~3才ぐらいの女の子たちが3人で、あぜ道(田んぼの横)を歩いていました。
水道がないので、毎日往復6キロ離れた池まで水を取りにいくのは子どもの役目。
仲良しの3人は、水が満タンで、とっても重たいプラスチックのタンクを背負い、おしゃべりしながら、村に戻る途中です。
すると。。。ドガアーン、ドギョーン!!!
ものすごい爆発音!
砂煙で、何も見えなくなり、耳も、一瞬、聞こえなくなるほど。。
先頭を歩いていた女の子が消えました。2番目の女の子は、田んぼに上半身を突っ込んでいます。
一番後ろを歩いていたスアンちゃんは、その場で、気絶しました。
翌日、スアンちゃんが目を覚ますと、彼女は病院の粗末なベッドの上。横にはお母さんが座って、目を真っ赤にしています。
スアンちゃんは、どうして泣いているのかな、と思いましたが、すぐに、左足の、ものすごい痛みに気づき、昨日、地雷で気を失ったことを思い出しました。
そして、スアンちゃんは、こわごわ、左足をさわってみると、足が、ひざで終わって、包帯が巻いてあります。
その先には何もありません。
はっとして、お母さんを見ると、「ごめんなさい。スアンの左足はもうないの」と泣きだしました。そうです、地雷で、ズタズタになったスアンちゃんの左足は、膝から下を切断するしかなかったのです。
それを聞いたスアンちゃんは、「人生が終わっちゃったわ。もう学校も結婚も無理。友達とも遊べない」と絶望して再び気絶してしまったのです。
でも、スアンちゃんはまだ幸運でした。先頭を歩いていたともだちは粉々になって即死、2番目の女の子は体がちぎれて、田んぼで亡くなっていました。
これはカンボジアで起こった多くの悲劇の一つの再現シーンにすぎません。罪のない多くの人々が地雷で殺されています。
そして、命は助かったものの、手足を奪われて、生きる希望や夢を奪われたスアンちゃんのような子供も多くいます。
しかも、犠牲者は、今でも増え続けているのです。これが、ポルポト政権の大きな影響の一つです
地雷を埋めたやつらは誰だ?!
でも、どうして? なんで、カンボジアでは、普通の人が歩く場所や道路に地雷が埋まってるの? ありえないっしょ!
そう思いますよね。じつは、地雷は、貧乏な人の武器と言われています。1番安いものは一個300円!
しかも地雷には、敵を殺すだけではなく、傷つけることが目的の場合もあります。
例えば、地雷で、敵の兵隊の手足を奪い、自分で動けなくなれば、仲間の兵隊が看病したり、移動のときには肩を貸したりするので、敵の戦闘力が非常に弱まりますよね。
つまり、地雷は安くて、埋めやすくて、効果も色々。
カンボジアの様に、あまりお金がない国でも、使いやすい?!兵器なんです。
なので、ポルポト政権前から、カンボジアでは、敵味方に分かれて、地雷は使われていました。
とは言っても、やっぱり、ポルポト政権が1979年に崩壊してから埋められた数が、ダンゼン多いんです。
なぜかといえば、ポルポト政権がカンボジアを完全にメチャクチャにしたので、政権崩壊後、国中が分裂して、色々な勢力が戦い続けたからなんです!
しかも、悪いことに各勢力が、中国、ソ連、ベトナム、アメリカなどから支援された地雷をカンボジアの国じゅうに埋めたのです。
結果として、な、なんと600万個!日本の半分程度の面積のカンボジアに!
カンボジアが地雷だらけになったのも、ポルポト政権が国をメチャクチャにした影響が大きいことが分かっていただけたでしょうか?
地雷を撤去しようと努力はしてるけど。。。
もちろん、カンボジアでも地雷を見つけて、捨てる(撤去する)努力はしています。しかし、600万個もの地雷を、撤去するのは、すぐには無理ですよね。
それに、ポルポト政権によって破壊されたカンボジアは国がとても貧しく、人々は、毎日のごはんを食べるが精いっぱいです。
そこで、活躍しているのが、外国の団体や国際機関の人々! 彼らがカンボジアで地雷撤去に協力しています。
しかし、1992年~1997年の間に撤去できた地雷は75,000個だそうです。
埋まっている600万個に比べると、わずかですが、今でも、その努力は続いています。
地雷を無くす運動を続けてきたICBL(地雷廃絶国際キャンペーン)団体は1997年にノーベル平和賞を授与されました。
ポルポト政権後のカンボジアで日本人が大活躍?!
こんなに厳しいカンボジアの状況ですが、日本人が、地雷で傷ついた人々を助けて、皆さんから、ものすごく感謝されているのを知ってますか?
地雷で手足を無くすと、義肢(義足や義手)を付けることになります。でも、義足や義手を手に入れることは結構大変なんですよ。
だって、一人ひとりの体の大きさや傷の状況が違うから、義肢を付けるときには、色々な微調整が必要。
そして、実際に義肢をつけて、うまく使えるように練習しなくっちゃですよね。
ここで役に立っているのが、義肢装具士の皆さんです。
義肢装具士は、手足を無くした人たちの為に、義肢を作って、微調整して、付けてあげて、そして、義肢を上手く使う訓練を手伝うプロです。
その一人が、日本人の藤井さんです!
1998年時点で、藤井さんはカンボジアで、なんと5,000本!以上の義肢を人々に付けて、うまく動けるように指導しました。
藤井さんと一緒に5人の日本人義肢装具士も、カンボジアで働いていました。
しかも。。藤井さんは、その職場で、世界から来た義肢装具士のリーダーをしていたんです。スゴくないですか?!
藤井さんの夢は、カンボジア人の義肢装具士を育てること。そうすれば、カンボジアの人に新しい仕事が増えるし、カンボジア人同士で助け合えますからね。
なんて素敵な夢でしょう!
遠いカンボジアで、日本人が頑張って、現地の人々から、とても感謝されてるって、スゴいと思いませんか?!
えっ、200万人が殺された!そして、カンボジア戦国時代?

次なるポルポト政権の影響についてですが、皆さんここまで読んでだいたい想像つきますよね?
カンボジアは人口激減し、国民の大分裂を招くことになりました。ポルポト政権が終わってみると、その影響は、マジ悪いことばっか。
なんと、ポルポト政権の間に、カンボジア人の150から200万人が殺されたようです。
ポルポト政権前の人口は約780万人だったので、カンボジア人の約20-25%が、4年もしない間に亡くなりました。
そして、1979年にポルポト政権が崩壊した後、カンボジアは大分裂します。いろいろな勢力が乱立して、カンボジアは、まさに戦国時代に入りました!
カンボジア人の20%が殺され。。字が読める人たちが消え。。
繰り返しですが、カンボジアでは、ポルポト政権に国民の20-25%が殺されました。
日本の人口を1.3億人とすると、20-25%は約3千万人=東京都、大阪府、神奈川県の全人口!!、が殺された計算になります。。ってマジか?!
人口が激減したカンボジアは、当然、国としての力を失いました。ポルポト政権崩壊時には、孤児だけで20万人いたそうです。
しかも、ポルポト政権が重点的に粛清していったのが知識人である教師、公務員、軍人、政治家、経営者。
さらに都会に住んでいた人々、字が読める人達。そして、海外にいた留学生や外交官も、だまして、帰国させ、全員殺害!
つまり、知識の有る人、社会を動かす能力の高い人を集中的に殺したので、国がダメになるのは当然ですよね。
くわえて、ポルポト政権はデタラメな農業指導をして、機械も肥料も農薬も使わせなかったので、カンボジア人の主食、お米も大不作に!毛沢東を思い出しちゃいますよね。
結局、ポルポト政権のせいで、カンボジアは人口が減り、食べ物も無く、国を動かす人材も失った、最悪の状態になったんです。。
カンボジア国民の分断と戦国時代到来!
そして、カンボジア戦国時代。。
ポルポト政権が崩壊して、首都プノンペンを逃げ出した後も、クメールルージュは、ジャングルを支配して、戦い続けました。
一方、カンボジアの大部分を支配したヘンサムリン政権は、ベトナムの言いなりだったのがバレバレでした。だって、ベトナム軍がカンボジアに駐留して、ヘンサムリンを指導してたんですから。。
なので、ポルポト政権は絶対にイヤだけど、外国の支配もちょっとねー、となるカンボジア人も多くいました。
そんな状況だったので、ジャングルで武装して戦うクメールルージュ、前の国王を支持するシアヌーク派、等々の、反ベトナム勢力が、グチャグチャに分裂して、カンボジアは戦国時代に入ったんです!
例えば、日本が、本州、北海道、九州、四国に分裂して、戦うなんて想像できますか?
ありえねーって感じでしょ?
はい、これが、もう一つのポルポト政権の影響。
ポルポト政権が国をボロボロにした結果、カンボジア国民が大分裂して、戦国時代に突入しました。
ポルポト達の最後と、生まれ変わるカンボジア
とは言え、クメールルージュ(ポルポト一味)も永遠ではありません。いつかは滅びます。
ここで、ポルポトとクメールルージュの最後と、カンボジアの平和と復興への道を見てみましょう。
ポルポトの残党とヘンサムリン政権
カンボジア戦国時代の中、クメールルージュはジャングルを支配して戦い続けます。
しかし、カンボジアを支配し始めたヘンサムリンの政府は強力です。何と言っても、ヘンサムリンのバックには強いベトナム軍が駐留してましたから。
こりゃたまらん、と言うことで、とにかく、ヘンサムリンとベトナムを追い出そうと考えた、反ベトナム勢力が結集したのが1982年。
参加者は、クメールルージュ、シアヌーク(前の国王)派、そして、ソンサン派(クメールルージュともシアヌーク派とも敵だった)の三大勢力です。
しかし、共産主義のクメールルージュ、王政を支持するシアヌーク、元々が敵のソンサンですから本心で協力はできず、戦力では、ヘンサムリンに歯が立ちません。。
1985年には、ベトナム勢力に攻撃され、シアヌーク派の拠点が壊滅したります。
一方、クメールルージュは、アメリカ、中国などから支援を受け、武器も大量に持ちジャングルをなわばりにして戦い続けます。
そして、1989年ごろまで大きな変化はありませんでした。
当時、ソ連、ベトナムがヘンサムリン(カンボジア支配)をサポートし、アメリカ、中国、タイ がクメールルージュ、シアヌーク他(抵抗勢力)を後押しするという構図になっていました。
実は、その頃、アメリカとソ連が世界を支配し、ずーっと争っていたんですね。
しかし、両国は、直接の戦争はしなかったので、その競争状態は、冷戦(冷たい戦争)と呼ばれました。
そして、カンボジアの戦国時代は、米ソ冷戦の代理戦争だったんです。
つまり、ベトナム+ヘンサムリン(ソ連の子分)とクメールルージュ他(アメリカの子分)が戦ってわけ。
なお、中国は、隣国のベトナムと戦争するほど険悪な仲だったので、反ベトナムのクメールルージュたちを応援しました。
まるで、ギャングのなわばり争いですよね。これが国際政治だったんです。。。
そして、まちに待った平和!そのときクメールルージュは?
そうこうする内に、ソ連の経済がヘロヘロになり、アメリカとソ連の冷戦が終わりに近づきます。そして、ついに、1989年に、ソ連の子分、ベトナム軍がカンボジアを撤退!
いよいよ、国際社会も、国連も、冷戦も終わるし、カンボジアを何とか助けようぜ!
みたいな感じに成って来ました。
よっしゃ!
そして、ついに1991年、パリ和平協定が結ばれたのです!
参加者は、戦国時代の主役全員。つまり、ヘンサムリン派(ベトナムが支援)、クメールルージュ(ポルポト派)、シアヌーク派(前の国王)、そして、ソンサン派。
なんと、クメールルージュも参加しています。
その後、カンボジアでは、国連が支援、監視して、1993年に憲法を作り直すための総選挙が行われ、新らしい憲法が作られました。
新生カンボジア王国の誕生です。国王には、シアヌークさんが、復帰。戦国時代が終わり、やっと、カンボジアが一つの国として復活したのです。
有難う国連! やったぜ、カンボジア!って感じですね。しかしポルポトは相変わらずの独裁者としての気質は変わっていませんでした。
ポルポトがリーダーのクメールルージュは、総選挙に反対し、日本人2人を含めた11名の選挙監視人を殺し、選挙を妨害しようとしました。
結果として妨害は失敗しましたが、選挙監視人を殺すなんて許せませんね。
とはいえ、カンボジアが徐々に復興する中、孤立して戦うクメールルージュの勢力は徐々に弱まります。
ついに、1997年、ポルポトは、自分の部下に逮捕され、なんちゃって?裁判で、終身刑(自宅で)を宣告されました。
やっと、ポルポトは正式?に失脚しました。そして、翌年、1998年にポルポトは突然、死去します。
かなり急な死亡だったので、他殺、自殺、等々の説がありますが、すぐに遺体は火葬されたので永遠の謎です。。晩年は若い奥さんを娶り自分の子供をとてもかわいがっていたようです。
そして、1999年までに、幹部のほとんどが投降し、クメールルージュは消滅しました。
いやー、しぶとい! だって、政権崩壊後に、ジャングルで20年も戦ったんですよ。
もちろん、中国、タイの支援、そして、ルビーや木材を密売した膨大な資金を使って生き延びたらしいですが。それにしても、ですよね。。
ポルポト政権の影響と最後・まとめ!
ポルポト政権ってマジでヤバかったと思いませんか!?それも1999年まで、残党がクメールルージュとして戦ってたって。。。
1991年になり、やっと、国連や外国の支援で、カンボジアに平和が戻り、1993年には、カンボジア王国として復活しました。少しずつですが、地雷撤去も進んでいます。
まだまだこれからですが、ポルポト政権に破壊されたカンボジアでは、国民みんなが、必死で前進しています。なんといっても、カンボジアは、日本と同じアジアの仲間です。
今後も、カンボジアと人々の復興を暖かく見守れたらいいですね。
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[参考文献]
検証カンボジア大虐殺 本多勝一 朝日文庫 1985年
独裁者が変えた世界史 オリヴィエ・ゲズ編 原書房 2020年
悪魔の兵器・地雷 小林正典 ポプラ社 1998年
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