「大国主命(おおくにぬしのみこと)」という神様を知っていますか?島根県にある出雲大社に祀られている神様です。
実はこの神様が実際に生きていた人だった、と言ったらびっくりしますか?神様なんて実在してないでしょ!と思いますよね?
日本の神様の多くは実際に生きていた人であるケースが少なくなく、大国主命も死後に神様となったと考えられているんですね!
では、どんなことをして神様になったのでしょうか?今回は「大国主命」についてちょっと見ていきましょう。
どこにいたの?いつの時代の人?
日本には八百万(やおよろず)の神様、つまりたくさんの神様がいらっしゃって各地の神社に祀られ、信仰の対象となっています。
その総元締めのような神様が大国主命で、出雲大社(いずものおおやしろ)にご鎮座されています。
ところで、十月のことを、別名神無月(かんなづき)といいますが、それは日本中の神様がそれぞれの地域を離れ出雲に集まり、神様がいなくなってしまうから、と言われていますね。
一方、出雲にはたくさんの神様が集まってくるということで、この地方では昔から十月のことを「神無月」ではなく「神在月(かみありづき)」と言っていました。
この話はちょっと有名な雑学で、聞いたことのある人も多いでしょう。
そこから考えると、大国主命は出雲国にいる、出雲から離れたことがないのかなと思ってしまいますよね。
でもそうじゃないです。
『古事記』や『日本書紀』、この二つを合わせて「記紀」といいますが、この「記紀」によると、大国主命は「葦原中国(あしはらなかつくに)」を創った、とあります。
「葦原中国」というのは当時の日本のことで、中国地方だけでなく、四国や北陸、関東地方にまで及んでいるんですね。
少なくとも東北地方、北海道地方を除いた広い地域で、大国主命は活躍したということになります。
大国主命は「天孫降臨」よりも前に登場しました
では、いつの時代の人だったかというと「記紀」では、天皇のご先祖が高天原から降り立った、いわゆる「天孫降臨」よりも前に大国主命は登場しています。
大国主命は、あの天照大神の乱暴者の弟、スサノウの命の血統の者とされ、5世あるいは6世孫、ある書によるとスサノウの息子であるという記述もあります。
さてここで問題。
神様は大きく2種類に分けられます。
天津神(あまつかみ)と国津神(くにつかみ)です。
天津神というのは高天原に住んでいるか、あるいは高天原から天下った神様のこと。天照大神や、「天の岩戸」の話で踊りを踊った天受売命(あまのうずめのみこと)などが天津神です。
それに対して、国津神とは葦原中国に現れた神様のことです。では、大国主命は、天津神でしょうか?それとも国津神でしょうか?
答えは、国津神です。
スサノウ命は、その乱暴さゆえに高天原から追放されました。
本来なら天津神(あまつかみ)なのですが、追放されたので国津神(くにつかみ)となり、一線を画されてしまうんですね。
そのために、スサノウの血を引く大国主命も国津神になるというわけ。
後に、高天原から来た天津神に「国を譲れ!」なんて無理強いされてしまうんですが、こんなこと言われちゃうのも、国津神だからこそ。何だか「下に」見られちゃっているんですね。
歴史的には、卑弥呼(ひみこ)が魏(ぎ)に使節を送り「親魏倭王(しんぎわおう)」の金印を賜った3世紀よりも少し前か、その当時の人ではないかと考えられます。
古墳時代の前、弥生時代の後期あたりですね。
大国主命って何をした人?どんなご利益があるの?
大国主命は、広い範囲で多くの豪族の娘と結婚をしています。
現在、縁結びの神様として知られているのも、この辺が根拠となっているのかと思われますが。
恋愛にご利益がある神様なんですね。
実際、婚姻関係を結ぶというのは、支配していったそれぞれの地域で、統治権を強化するために行われる方法です。
そうすることで、支配される側も地位を保証される場合が多く、古今東西を問わず、よく耳にする支配の仕方ですね。
大国主命には、「大国主」という名の他に4つの名前があります。
その一つが「八千矛神(やちほこのかみ)」というもの。「八千」は数字ではなく、「たくさんの」という意味です。
「たくさんの矛(ほこ)」だから、つまり武力をもった神様、という意味になりますが、しかし、青銅器の矛は日本では祭祀用に使われていました。
なので、武力でもって各地域を支配していったというよりも、宗教の力によって権力を広げていったと考える方がいいかもしれません。
少彦名命とともに「国造り」をするよ
「記紀」によると、このように広く婚姻関係を結び葦原中国を平定した後、出雲に帰った大国主の下に一人の神様が現れます。
それが「少彦名命(すくなひこなのみこと)」です。
『日本書紀』では、「ガガイモの実の皮でできた船に乗り、ミソサザイの羽でできた服を着て、波のまにまに浮かんでやって来た」とありますから、とっても小さい。
一寸法師よりも小さいかわいらしい神様ですが、しかし、侮るなかれ、最先端の技術を持っていました。
大国主命はこの少彦名命とともに国中を歩き、当時まだなかった害虫駆除や医療、薬、温泉の効用や穀物の栽培の仕方、そして特に酒造りなどの知識を国中に広めていきます。
少彦名命ってとても賢いんですね。
こうして、少彦名命の力もあって、ようやく葦原中国の「国造り」が完成します。ところが、登場してきた時と同様に、少彦名命はある日突然去ってしまいます。
悲しみにくれる大国主命。
と、そこに今度は大物主神(おおものぬしのかみ)が現れます。
大物主神は、自分をヤマトの三諸山(みもろやま)に祀って欲しいと願いました。何か図々しい感じですが、実は大物主神は大国主命と同一神と考えられています。
つまり、これは、出雲の他にヤマトにも拠点を据えたのではないかということ。
支社をもう一つ増やした的な、拡大した葦原中国をしっかりと運営するにあたっての、経営強化策と考えると理解できますよね!
天照大神に強引に「国譲り」をせまられる
この順調経営の葦原中国を見ていたのが「高天原」の天照大神。
本来ならこの国は私たちが支配する国だ!と、根拠のない理屈をつけて「国を譲れ!」と迫ります。
(『日本書紀』では、高皇産霊尊(たかみむすびのみこと)が、自分の娘が生んだ子で天照大神の孫でもある「瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)」を、君主に据えたいと願って迫ります。)
鼻息も荒く、高天原の神々は集まり相談をして、これは、という神を派遣するんですが…。
派遣された神々が皆だらしない。
何の報告もしないまま帰って来なかったり、大国主命の娘と結婚して居ついてしまったり。
なしのつぶての、行ったきり雀で、もうドタバタです。
業を煮やした高天原の神々は、ついに武勇優れた二人の将軍、経津主神(ふつぬしのかみ)と武甕槌神(たけみかづちのかみ)を派遣します。
「国譲り」ではなくホントは大戦争?
この二柱の神様、今までとはだいぶ違います。
出雲のいなさの海岸に降り立つと、十握剣(とつかのつるぎ)を抜いて逆さに立て、なんとその剣先に胡坐(あぐら)をかいて座ったのです。そして国を譲れ!と迫るわけですね。
何というパフォーマンス!
これには大国主命もびっくりして、息子である事代主神(ことしろぬしのかみ)と相談してから、なんてすっかり腰砕けの低姿勢。
結局、事代主神はさしたる抵抗もせず、この申し出に同意します。
『古事記』では、もう一人「タケミナカタ神」という息子がいて、唯一抵抗するのですが、力比べで負けてしまい、大国主命は結局国を明け渡すこととなります。
大国主命は処罰された!
めでたく「国譲り」が成立という話ですが、よく読んでみるとそんな穏やかに事は進まなかったようです。
『古事記』によると、大国主命は「幽界(死のクニ)に下る」にあたって、「空に高々とそびえる」天津神の御子の住むような神殿を立ててくれるように要求します。
そうして、葦原中国が天津神のものとなったとならば、もはや従わないものはいないだろうと断言する。
しかし『日本書紀』では、その後の記述として、武甕槌神と経津主神が「多くの従わない鬼の神々を処罰し終えると」と、あります。
つまり、交渉して、はい承りましたなんて言う「国譲り」ではなかった。
別名「葦原中国の平定」とあるように、これは大戦争であったというのが大方の歴史の解釈とされています。
となると、大国主命は「処罰」されたと考える方が筋が通る・・・・。
さらには、武甕槌神と経津主神は「多くの武人」を率いた「将軍」だったとみなすのが理に合っています。
各地には多く、鹿島神宮や香取神宮を知っているでしょう。ご祭神となっているのは、それぞれ武甕槌神と経津主神です。
優れた武人、いや軍神として彼らが祀られているのは、勝利をもたらした将軍という、その証明であると考えられています。
さて、大国主命の中に、戦さに敗れ命を奪われた敗者の姿を想像するのは、ちょっと難しく、また、衝撃的です。
それで、子の事代主神の方はどうなったのかということが、気になりますが、事代主はなおも生き続け、その後のヤマト王権に深く関わっていきます。
初代天皇である神武天皇の皇后に、事代主の娘がなるんですね。大国主命の血脈は、ヤマト王朝へと受け継がれていくというわけです!!
大国主命ってどんな神様?どんなご利益があるの?まとめ
因幡の白兎を助け大きなおなかをした大国主命は、「葦原中国」を造り、天照大神の孫である瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)が「天孫降臨」する前まで国をしっかり治めていた権力者でした。
高天原の神々の「葦原中国平定」により、戦さには敗れてしまったのは、残念です。
しかし、大国主命は今なお生き続けているともいえます。
日本の神様のほとんどが、大国主命が広めていった神々であろうということ、そして自身は縁結びの神様として深い信仰を集めているということ。
大国主命は、それほど偉大で強力な、そして魅力ある人だったに違いありません。
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【参考文献】
「日本神話・神社まとめ」(web)https://nihonsinwa.com
「狗奴国私考」(web) http://www.kunakoku.info
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