あなたは五・一五事件を知っていますか?
まだ20代の軍の若いエリートたちが総理大臣・犬養毅を殺害したこの事件、襲われたときに犬養が「話せば分かる」と言ったのに対して「問答無用」と引き金をひいた軍人とのやり取りは、ご存知の方も多いのではないでしょうか。
選挙で選ばれた国民の代表である総理大臣が軍人によって殺害されたこの事件をきっかけに、日本の政治は大きく変化しました。
一体なぜ総理大臣は殺されたのか、この事件のあと、日本社会はどう変化していったのか、この記事で解説していきます!
五・一五事件の概要
五・一五事件とは、1932(昭和7)年に東京で起きたクーデター事件です。クーデターといえば最近ではミャンマーや北朝鮮なので耳にしたかと思います!こういったことが日本の歴史の中でも起こっていたんですね!
五・一五事件では若い海軍の青年将校たちが、当時総理大臣であった立憲政友会の犬養毅を殺害し、さらに警察庁、牧野伸顕内大臣官邸、立憲政友会本部、日本銀行、三菱銀行、東京周辺の変電所などを次々と襲撃しました。
5月15日に起きたことから、五・一五事件と呼ばれています。
今の日本では、総理大臣や警察庁、銀行を襲撃する事件が起こることは考えにくいですよね。
ごくまれに、海外で総理大臣が殺害されるというニュースを聞くと、その治安の悪さや政情の不安定さに驚きや恐怖を感じますが、同じようなことが昭和のはじめの日本でも起こったのです。
軍人たちの政治に対する不満が高まった背景
総理大臣が軍人に殺害されたという、前代未聞の大事件が起きた昭和の初め。一体なぜ軍人たちは総理を殺害しようと考えたのでしょうか。
1930年代は、軍人の思惑と日本の国際的な立場を守ろうとする政治家が、相反する方向へ進み、お互いを理解することなく離れていく時代でした。
当時、軍人たちが何をきっかけに政治に対する不満を強めていったのか、みてみましょう。

海軍軍人が不信感を抱いた海軍軍縮条約

海軍の軍人が政治に対して不信感を抱いたきっかけは、1930(昭和5)年に結ばれたロンドン海軍軍縮条約です。
この時代、世界恐慌の影響を受け、どの国も財政の問題を抱えると、補助艦の保有量を制限することで軍費を削減しようとしました。
そして、この条約で、政治家が結んだ日本の補助艦の保有量が、海軍が国を護るために必要だと主張していた比率よりも少なかったのです。
ロンドン海軍軍縮条約が結ばれると、海軍の軍人たちの多くは、国を防衛する気があるのかと、政治家に対する不信感を募らせます。
国際的な日本の立場を考えれば、海軍が求める通りに補助艦の比率を増やせば「日本は戦争をする気があるのではないか?」と他の国から疑われ、立場を悪くしてしまうでしょう。しかし軍人たちは、日本を守ることのみに目がいっており、政治家への恨みを大きくしていきました。
陸軍軍人が不信感を抱いた上海事変の停戦
軍人たちの不満が強くなる出来事は、他にもありました。それが、上海事変の停戦です。
五・一五事件の起きた1932(昭和7)年のはじめは、中国の侵略行為に対する日本への批判が高まっていた時期でした。
特に列強と呼ばれるアメリカやイギリスなどは、日本に強い不信感を募らせます。そのため、政治家たちは国際的な信用を取り戻そうと外交をしていました。
天皇の思いもあり、上海事変に停戦命令を出すと、これ以上戦闘を拡大させないよう、収束させます。
しかし、この動きに不満をあらわにしたのが、陸軍の軍人たちでした。勝っていたにも関わらず、なぜ責めないのか、政府は弱腰だという思いを強くします。
1932年5月15日の東京に何が起こったか
軍人たちが政治に対する不満を次第に強めていく中で、実際に政権を倒そうと動き出したのは海軍の若い青年将校たちでした。
彼らは、政党政治を刷新して、軍事政権を打ち立てようとするクーデターを計画し、1932(昭和7)年5月15日に実行に移します。
殺害された内閣総理大臣・犬養毅の他にも、元老の西園寺公望、内大臣の牧野伸顕、そして、侍従長の鈴木貫太郎という、政治界の超大物たちを次々に狙いました。
青年将校たちは、18人で4つのグループに別れ、テロを起こします。
犬養毅首相の銃撃の様子
犬養毅は、その日首相官邸にいました。夕方、武装した海軍士官ら9名が官邸に侵入すると、食堂にいた犬養を見つけます。
銃を向ける軍人に対して、犬養は落ち着いた様子で、青年将校たちに事件を起こした理由を聞きました。
「君らはなぜこのようなことをする。まず理由を聞いたうえで、撃たなくてはならない事があるならば、その時に撃たれようじゃないか」と言いました。
さすが、総理大臣を務めるだけあり、肝が据わっていますよね。しかしこうした犬養の言葉は届かず、青年将校は「撃て!問答は要らん!」と発砲しました。
この銃撃がきっかけで、犬養は深夜に息を引き取ります。選挙で選ばれた国民の代表らしく、犬養は最後まで言論での説得を試みました。しかしそれもむなしく、武力によって踏みにじられたのです。
失敗した他のテロ
五・一五事件で、青年将校たちは複数の場所でテロを起こします。
内大臣であった牧野伸顕の家には、手りゅう弾を投げ込みましたが、その時牧野は不在だったため無事でした。政友会本部にも手りゅう弾を投げ込みましたが、こちらは不発。
そして他にも、このテロの呼びかけに応じた橘孝三郎たち愛郷塾のメンバーが東京の発電所を襲います。
東京を真っ暗にして何かをやろうとしたものの、どうすればいいのか分からなくて結局失敗したそうです。なんだかダサいですが・・・要所要所に詰めの甘さが感じられますね!
このように、複数の場所で襲撃を行ったものの、成功したのは犬養首相の暗殺のみで、それ以外は失敗してしまいました。
とはいっても現役の総理大臣暗殺なんて前代未聞です。彼らがやったことは失敗と言ってもかなりの重い罪なのです。
五・一五事件のその後

総理大臣を暗殺するという、今の時代で考えると前代未聞の事件ですが、当時の国民の間では、事件を起こした青年将校たちに同情する声が多く上がりました。
それほど、政治への不満が民衆の中に渦巻いていたのでしょうね。
では、事件を起こしたあとの青年将校への処罰や、その後の日本社会への影響をみていきましょう。
青年将校への処罰はどうなった?
一国の総理大臣を殺害し、東京の各所を襲った五・一五事件ですが、その後海軍の青年将校たちはどのような処罰を受けたのでしょうか。
普通に考えれば、厳しく罰せられそうですよね。しかし、海軍の軍法会議の判決は、とても軽いものでした。
首謀者の2人は禁錮15年、もう1人は禁錮13年、無期懲役が1人、残り14名は全員無罪となったのです。死刑判決は出ませんでした。
なんだか、最後としては同じクーデターでも226事件とはだいぶ違う気がしますね。
国民からの支持を得た五・一五事件
総理大臣を殺害し、東京でテロを起こした五・一五事件。
今の時代を生きる私たちがこうした事件を目の当たりにすれば、恐怖や不安に駆られると思います。
しかし不思議なことに、この事件、当時の国民からは妙に人気があったそうです。
当時、世界恐慌の影響を受け、国内が深刻な不況に陥ったとき、政府は失業者を救う政策や、不況と凶作のダブルパンチで生活がままならなくなった農村への対策を打ち出すことができませんでした。
特に農家の被害は深刻で、学校にお弁当を持っていけない欠食児童や、借金のかたに売春婦として娘が売られる娘の身売りが社会問題となります。
それにも関わらず、困っている国民を救えない政治家に対する不満は次第に膨らんでいきました。
国民の目には、事件を起こした青年将校たちは、国民を苦しめる悪い政治家を倒したヒーローのように映ったことでしょう。
五・一五事件が及ぼした政治への影響
この事件をきっかけに政党政治は完全に崩壊します。
制限つきとはいえ、大正時代から、普通選挙で国民から選ばれた政党によって政治が行われるという形がとられていたのですが、この事件以降、内閣のメンバーは軍人によって占められることになります。
軍人によって政治がすすめられるのですから、当然政策も軍国主義へと舵をきっていきますよね。
さらに国内では殺人やテロが相次ぎ、首相の暗殺未遂事件も何度も起きました。政治家にとって、軍人の機嫌を損ねれば命の危険にさらされるわけですから、やはり軍に逆らえなくなるわけです。
そういった恐怖の中で政治を行う時代へと向かっていきました。
五・一五事件をわかりやすく解説!総理大臣暗殺!日本で前代未聞の事件が起こっていた!まとめ
1932(昭和7)年に起きた五・一五事件は、総理大臣である犬養毅を暗殺し、東京の複数の場所でクーデターを起こした、昭和の一大事件でした。
軍人たちが事件を起こした理由は、軍部の思い通りにいかない政治をすすめた政党への不満からです。しかしこうした政治の背景には、国際的な立場を求められた日本としての判断がありました。
軍人として日本を守ろうとした軍部と、国際的な関係の中で日本を守ろうとした政治家、この両者は交わることなく、理解を示すこともなく、最悪の結果を迎えたのが、五・一五事件だったのです。
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【参考文献】
半藤一利『昭和史 1926-1945』平凡社、2016年


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