6/282021年で早くも令和3年。筆者は「平成」と発表された日さえまだ記憶に新しい気がするのですが…。
この元号や日本の歴史、そして伝統と深く結びついている存在が天皇です。
普段、天皇のルーツ、日本の神話や言い伝えに触れる機会がなかなかありませんが日本の天皇が世界でも唯一「万世一系」だということを知っていましたか?
つまり長い長い歴史の中でずっと1つの家系で続いているということなんですが、実はこれ、めちゃくちゃすごいことなんですよ!
そんな天皇のはじまりっていつなんだろう?と一度は疑問に思ったことがあるかもしれません。今日は天皇がいつから存在していたのか見ていきたいと思います。
神武天皇・日本の最初の天皇?!
初代の天皇の名前は?と聞かれた場合、「神武天皇!」とすぐに答えられる方は日本史をきちんと勉強した記憶のある方でしょうね!
一般的には神武天皇が初代天皇として知られています。
しかし大昔のことをどうして分かったのでしょう?実は天皇のはじまりにはいくつか説があります。
天皇だけど天皇として数えられてない方もいます。ここでは一般的に言われる有名な説をとりあげていきますね!
神武天皇・記録に残されている初代天皇とは?
天皇の系図の初代として紹介されているのが神武天皇です。宮内庁のインターネットのページにもこの天皇系図があります。
神武天皇が初代だったというのは「日本書紀」と「古事記」に書かれてあります。
「神武天皇」というお名前は後世になってから付けられたもので、上記2つの資料中でいろいろな名前で登場してるんです。
例えば神倭伊波礼毘古(かむやまといわれびこ)という名前。
漢字ばかりで覚えにくいったらありゃしない!と思っちゃいますがよく見るとなかなか壮大なお名前ですよね。
神武天皇の出生
「日本書紀」によれば神武天皇は紀元前660年に即位し、紀元前585年に127歳で没、と記されています。
言い伝えによると、神武天皇は高千穂の宮(今の宮崎県のあたり)から安らかに国を治められる地を求めてお兄ちゃんと一緒に東方に向かって旅に出ます。
旅の途中の困難で、お兄ちゃんを失ってしまいますが、お父さんの助けなどもありご本人は畝傍(うねび)山の東南橿原(かしはら、今の奈良県)に辿りつきました。
神武天皇の即位
そしてこの地に皇居として畝傍橿原宮(うねびのかしはらのみや)を建て、そこで初代天皇として即位したと言われています。
神武天皇は東方へ旅に出る前に一人の女性と、そして天皇として即位する直前にももう一人奥様を得ています。つまりお2人いらっしゃったということですね。
神武天皇のお墓として定められた場所は畝傍山三東北陵(うねびやまのうしとらのすみのみささぎ)という名前で、奈良県の橿原市にあります。
長いお墓の名称ですが安心してください。「四条ミサンザイ」という俗称があります。
崩御(ほうぎょ、お亡くなりになった)された日とされる4月3日には毎年、神武天皇祭が橿原神宮で行われています。
この神武天皇が一般的に初代天皇として歴史好きの方には知られていますが、天皇という概念から他にも初代天皇と言われる人がいます。
次に神武天皇以外の「天皇のはじまり」とされている方を見ていきましょう!
雄略天皇・考古学的に可能性大!実在していた最初の天皇?
天皇の始まりとして考古学的には最後の天皇ではないかとされているのが雄略天皇。
「日本書紀」と「古事記」に記載がある他に、古墳から出土した太刀に雄略天皇を指す名称があるという理由で考古学的に実在した最古の天皇である可能性が高いと言われているんですね。
考古学的とか生物学的とか天文学的にとか・・そういったこと言いだしたらたくさんの最古の天皇がでてきそうですが。。。
雄略天皇は第二十一代天皇で、在位期間は456年から479年です。
考古学的最古の雄略天皇は女好きだった?
この考古学的に最古の天皇とされている雄略天皇についてはその人となりもかなり詳細に記されています。
言葉を選んで表現しますと・・・女性に並々ならぬ情熱をお持ちでした!とのこと、、、
というのもおめがねに叶った複数の女性にプロポーズをしたと記録されているのです。
昔の日本は一夫一婦制ではなかったとはいえ、そのように特筆されるくらい周囲にも女癖に関しては強烈な印象を残されたということでしょうか。
ものすごくエネルギッシュな天皇だったんでしょう!
21世紀までそんなお人柄が伝えられようとはご本人も想像してなかったでしょうね!
記述には勿論それだけではなく戦いを好む気性だったことや天皇の権威を知らしめたといったことも書かれています。
「日本書紀」と「古事記」の記述以外にも、中国の書物「宋書」で当時の日本を描写した中で「倭王武」として登場していたのが雄略天皇だと考えられています。
雄略天皇のお墓として伝えられているのは河内の丹比高鷲原(たじひのたかわしのはら)で、大阪府羽曳野市にあります。
継体天皇・考古学的にさらに可能性大!実在していた最初の天皇?
考古学的に最古とされる天皇がいる一方で、今度は「この天皇本当に存在していたのか?大昔すぎて存在すらあやしいな」という見方がでてきました。そして、本当に存在を確認できた天皇を天皇とみとめようということで初代継体天皇説が浮上したのです!
まったくややこしいったらありゃしませんね。
継体天皇は第二十六代天皇で、在位期間は507年から531年です。
継体天皇の前に即位していた第二十五代の武烈天皇には跡継ぎがなく、仕方なくで系譜を遡って十五代の応神天皇の子孫にあたる継体天皇が即位したのです。
継体天皇は即位前、越前(現在の福井県)又は近江(現在の滋賀県)に住んでいたと言われています。
民衆の疑い・ホントに天皇の子孫なのか?
そして、継体天皇は15代目応神天皇までさかのぼり後継者となったので、ほかの人を天皇に推す声や「本当に子孫なのか!?」などの反対意見も根強く叫ばれていたようです。
議論がヒートアップする様子を見て天皇候補者の中には「天皇候補とか荷が重すぎや!勘弁して」と姿をくらました方もいたという記録があることからも、人選は大変な作業だったことがわかりますよね!
継体天皇の功績
そのような経緯の為、継体天皇が当時国を統治していた大和朝廷に入れてもらえるのに20年もかかったと言われています。
記録によると継体天皇は越前平野の治水事業にたずさわりました。その時に安全祈願をしたことが現在の福井県福井市にある足羽神社の起源とされています。
因みに第二十九代の欽明天皇は継体天皇の子供で、それからの天皇は断絶なく代々つながっていきます。
天武天皇・初代「自称」天皇!大王を廃止!
そして初代天皇と言われている方の中に天武天皇がいます。
なぜ初代天皇と言われるのかというと、天武天皇の以前は天皇という立場の人を「大王」(おおきみ)と呼んでいました。しかし、この天武天皇から「天皇」という名前になったのです。
その「おおきみ」というのは、政権のリーダーという存在だったのですが、天武天皇は「自分は政治とか豪族とかのリーダーなんていう次元とは別格の存在なのだ!」という考えから自分は天武「天皇」だ、と自ら名乗り即位したのです。
こうして天皇は「別格」的な存在、という考え方が今でも続いている訳ですが、この頃の天皇は大きな権力を持って国の統治に関わっていた点では今の「象徴」としての天皇とは全く違いますね。
しかし呼び方ひとつ変わったからといって初代天皇の変わるのはちょっとめんどくさいね!という感じがします。
天武天皇は第四十代天皇で、在位期間は673年から686年です。
天武天皇の功績といえばやはり「日本書紀」「古事記」をつくったことでしょう。日本に存在するもっとも古い歴史書と言われていますよね。
天皇は皇帝か否か?
現在の天皇は「象徴」だ、というのは恐らく日本国民のおおくの人たちが必ずどこかで聞いたことあることだと思います。そして天皇の職務は「国事行為」に限定されています。
国事行為というのは国会で決定した内閣総理大臣や最高裁判所長官を任命したり、宮殿や赤坂御所などで行われる様々な儀式や行事をとり行ったりといったものです。
宮内庁の年中行事の案内だけを見ても、日本にはこんな儀式が伝統的に存在するのか、というくらい多数のイベントがあることに驚かされます。
さてそんな天皇の職務って何ですか?と外国人に聞かれた時に、まず「天皇」はなんと訳すのかを調べてみますと、英語では「エンペラー」、そしてフランス語やスペイン語などでもこの語に相当する語が出てくるのです。
「エンペラー」というと、皇帝ですよね。筆者は皇帝というと絶対王政のナポレオンをまず想像します。
筆者のイメージでいうと、天皇家はイギリスのロイヤルファミリーのような存在なのですが・・・。
そのようなことでこの「エンペラー」という語から、日本の政治のリーダーは天皇だ、と考えている外国人は少なくないことは確かです。
元号+〇〇天皇の使い方
また日本の歴史書を読むときは何気なく使っている「〇〇天皇」という呼び名。
昔は元号の変わり時と必ずしも一致していたわけではありませんが、明治からは1つの元号につき1人の天皇ということになり、より時代の区切りが分かりやすくなりました。
1つ覚えておきたいのは、この元号+天皇という呼び方は「諡(おくりな)」といい、意味はその方の死後、生前の行いに対して贈られる名ということになります。
従って126代目となる現在の天皇のことは今上天皇(きんじょうてんのう)と言います。
天皇はいつから存在するのか?まとめ
「天皇」の存在の始まりについていくつかの例をご紹介しましたがいかがでしたでしょうか?
考古学的や呼称の変更などで、初代天皇が誰なのか所説ありましたね。
考え方がいろいろあって人それぞれ、「この人が初代の天皇だ!」という人が違っています。
日本や天皇の歴史を考える上で不可欠な存在となってくる古事記や日本書紀、そして日本各地に伝わる民話や伝説、神話といった昔話などから自分のなかで初代天皇を決めるのもよいかもしれませんね。
今後また専門家の方々の研究により、日本の大昔の歴史が塗り替えられることはあるでしょうから、そんな発見も楽しみに天皇の歴史が身近になっていくと良いですね。
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