「独裁者」と聞くと、皆さんはどんなイメージを持ちますか?
「自分の利益や権力ばかり追い求めて、国民のことなど考えない」とか、「気に入らない者はどんどん虐殺する」みたいな極悪人のイメージがあるかもしれません。
でも、独裁者=極悪人と言い切ってしまっていいのでしょうか。
今回は、リビアで独裁者として君臨したカダフィ大佐大佐について取り上げていきたいと思います!
「アラブの狂犬」
と呼ばれ、暴れん坊というイメージのあるカダフィ大佐大佐ですが、実は国民の生活を豊かにした一面もあるのです。
日本人でそんなカダフィ大佐の素晴らしい面を知っている方はどのくらいいるのでしょうか?
以下では、主にカダフィ大佐大佐の生い立ちや功績、破天荒なエピソードなどを中心に書いていきます。
カダフィ大佐大佐の生い立ち
カダフィ大佐大佐の本名はムアンマル・アル=カッザーフィー。
1942年に、リビアの砂漠地帯に暮らす、貧しい遊牧民の子として生まれます。
彼は小さい頃から成績優秀で、歴史や政治に興味を持ちます。
特に、西洋の侵略者と戦った、リビアの英雄の物語が大好きだったそうです。このあたりに、のちに政治指導者になる片鱗が見えますね。
1961年に陸軍士官学校に入学し、軍人の道を歩み始めます。
イギリスで衝撃をうけたカダフィ大佐
その後、訓練のためイギリスに滞在していたカダフィ大佐はあることに衝撃をうけることになります。
中東やアフリカからの移民が、ゴミ収集や清掃などのイギリス人が嫌がる仕事をしている一方でイギリス人は意気揚々と豊かな生活を送のです。
カダフィ大佐自身も、イギリスで激しい人種差別を受けたようです。
欧米嫌いの思想は、この頃に強まったのかもしれないですね。
リビアに帰国したカダフィ大佐は、欧米諸国に友好的なイドリス国王に反発。
国を変えるため、クーデターを計画します。
そして1969年、27歳のときに、民族主義の青年将校団とともにクーデターを実行しました。
このイドリス国王はリビアで最初で最後の国王となり亡命を繰り返し運命に翻弄されていくのでした。
この革命は、国王が外国にいるときを狙って慎重に準備され、大きな抵抗もなく成功しました。
いわゆる「無血革命」というやつです。
「アラブの狂犬」というのちのあだ名からは想像できないくらい、実は慎重でクレバーな性格だということがわかりますね。
そしてそれ以降、42年間も独裁者としてリビアを統治することになります。
カダフィ大佐の功績とは?
リビアはとても貧しい国でしたが一応、地理的にものすごい財産となる資源をもっていたんです。
それが石油。
リビアには石油が豊富にありますが、1960年代までは、欧米の大手石油会社(いわゆるメジャー)が、極端に安い値段で買い叩いていました。
これに不満を持っていたカダフィ大佐は、石油価格の引き上げを要求し、これを欧米の大手石油会社であるメジャーに認めさせてしまいます。
これによって、石油価格はなんと40%近くも上昇しました。
巨大な力を持っていた欧米の大企業に、20代の若者が噛みつくあたり、怖いもの知らずの「狂犬」という感じがします。
しかも要求をのませてしまうところもすごいですね。
このおかげで、リビア政府に入る石油収入が大幅にアップ!
カダフィ大佐はこの収入を、自分のためだけに使うのではなく、自分のかわいい国民にも分配したいと考えます。
カダフィ大佐の福祉政策がすごすぎ!
具体的には、以下のような政策を行います。
・所得税なし
・医療費、大学卒業までの教育費、電気代はタダ。
・ガソリン代は1リットル約10円。
・結婚した夫婦には約500万円を支給。
・子供を産むと母親に約50万円支給。
・国民が農業を始める際、政府が農地や家、家畜、肥料などを支給。
・自動車を購入する際、政府が自動車代の50%を補助。
・国営銀行から融資を受ける際、金利はゼロ。
などなど!!!これは国民もかなりうほうほだったのではないでしょうか?
北欧諸国もびっくりの超手厚い福祉政策です。教育費がタダのおかげで教育が普及し、識字率も大幅に上がりました。
識字率がめちゃくちゃアップ!
カダフィ大佐が実権を握る前の識字率は10~20%ほどと言われています。
そして1984年には60%、2004年には86%にまで上昇たのです!
教育面ではかなり貢献したということになります!
国の豊かさの指標である1人当たり国民総所得で見ると、1979年には日本とほぼ同じくらいになっています。
当時の日本は世界第2位の経済大国。
そんな日本と所得が変わらないということは、リビアがものすごく豊かな国になったということです。
1960年以前のリビアは、これといって目立った産業もない、北アフリカの最貧国のひとつでした(カダフィ大佐自身も貧しい遊牧民の出身です)。
それから20年ほどで、世界有数のお金持ち国家になったわけだから、ものすごいことです。
失業しても手厚い福祉でうほうほなカダフィ政権
カダフィ大佐による石油価格の引き上げと、その収入の国民への還元が、豊かさをもたらしたと言っていいでしょう。
ちなみに、リビアは失業率も高いのですが、これは単純労働をアフリカからの移民に任せていたり、専門的な職業を周辺の中東諸国の労働者に請け負わせたりしているためです。
また、上記のような手厚い福祉政策のおかげで、失業していてもそれほど生活に困らないため、失業率が高くなりやすいという要因もあるようです。
ある意味でうらやましいですね(笑)
カダフィ大佐の人柄って?エピソード・発言を紹介!
カダフィ大佐の破天荒なエピソードや独自の主張、過激な発言なども話題になりましたよね。
カダフィ大佐の強烈なエピソードや発言などを見ていきたいと思います!
アメリカ大嫌いカダフィー大佐
カダフィ大佐は自身の政治思想や世界観を書いた『緑の書』を発表し、全国民に読むよう義務付けました。
この本では、資本主義とも既存の社会主義とも異なる理論を提示し、革命後の政権運営もこの本の理論に基づいています。
そしてカダフィ大佐は大死ぬほどアメリカを嫌っていので米軍基地をリビアから撤収させました。
「リビアに外国の軍隊はいらない」というのがカダフィ大佐の基本的な信念だったのです。
テロ攻撃で演出?!
1986年にベルリンで起きたテロ事件に、リビア政府が関与していたとして、事件の10日後に、アメリカはリビアの首都トリポリを空爆します。
カダフィ大佐はたまたま地下壕にいたので助かり、さすが運が味方をする男という感じです。
カダフィ大佐の住居兼オフィスも攻撃を受け、カダフィ大佐は無事だったものの、生後15か月の養女が亡くなるなど、市民101人が死傷しました。
米軍に爆撃され、廃墟になった住居をそのままの形で保存し、「アメリカ蛮行の記念碑」と名付けて報道陣や来客に公開しました。しかも、そこで食事会まで開きます。アメリカに対する皮肉でしかないですよね。
転んでもただで起きないのがカダフィ大佐です。
この政治的パフォーマンスによって、カダフィ大佐はアメリカの蛮行に屈しない英雄として、カリスマ性を高める結果になりました。
こういうことを計算してパフォーマンスを行うあたり、やはりとても頭が良い感じがしますね。
日本式回転ベッドもリビアの文化も大好き?!
爆撃された住居を公開した際、日本のラブホテルで使われる回転式ベッドを使用していたことがばれてしまいました。
なんだかいろいろやばい人だってことはわかりますね!
このあたりは想定していなかったのかもしれません(笑)
アラブ民族として、そして遊牧民としての誇りを持っていたカダフィ大佐は、自宅にわざわざ遊牧民のテントを設営。
そこで来客を迎えることもありました。
外国訪問時にもラクダを飛行機に乗せ連れて行き、滞在先の都市のど真ん中でテントを張って泊まるほど、遊牧民の生活様式に非常にこだわっていました。
もちろん、政治的パフォーマンスもあると思いますが、、
親孝行な一面も
指導者になった後も、たびたび両親の住む砂漠地帯のテントを訪ねる、孝行息子という一面もありました。
特に、母親のことは大好きだったみたいです。日本にくらべて親子の絆が深いのが中東や東南アジアの特徴みたいですね。
上の例のように、ラクダを飛行機に乗せて運んだり、近代的な都市でわざわざテントを張って寝たりすることは、相当お金のかかる行為です。
また資本主義を批判していながら、外国の資本に投資して不正に蓄財していました。
独特の女性の好み
まだ10代の少女たちに銃を持たせ、ボディガード兼身の回りの世話役をさせていました。
この女性たちは
「カダフィ大佐・ガールズ」
と呼ばれています。
どこまでやらせていたのかわかりませんがいただけない性癖かもしれないですね!
この役はリビア人の少女が担っていましたが、晩年の頃は、ウクライナ人のブロンド女性に代わっていたそうです。
歳を取ってから女性の趣味が変わったのでしょうか(笑)
カダフィ大佐の最期が悲惨・アメリカの仕業だったの?
2011年にアラブ諸国で相次いで起きた反政府運動(アラブの春)の余波を受けて、リビアでも反政府運動が活発になりました。
リビアの場合、手厚い福祉政策によって経済的な不満は抑え込んでいたものの、国民に言論の自由などはなく、政治的には抑圧されていました。
他のアラブ諸国と同じように、独裁体制に不満を持つ民衆が大規模な反政府デモを行うようになり、一部のデモ隊が政府機関などを襲撃し始めます。
政府側は警察や軍を投入して抑え込み、多くの死者が出る事態になりました。
そうこうしているうちに、どんどん抗議デモとそれに対する鎮圧が激化していき、政府の体制が揺らぎ始めます。
アメリカの計らいでカダフィ大佐はつぶされた?
欧米諸国は、カダフィ大佐政権による国民への暴力を防ぐことを口実に、軍事介入するようになります。
しかし本当は国民の暴力を防ぐというのは口実で、本当はカダフィ大佐がアフリカ諸国に石油取引の際、通貨を米ドル排除し、金裏付を保証する「ゴールド・ディナール」を取り入れようとしていたからだという説もあります。
これは明らかにカダフィ大佐の世界金融へ挑戦と言えますよね。
一部の人間だけが莫大な資産を牛耳っている現在のシステムを打開したいと考えていたようですが・・・
さすがに立ち向かったものがでかすぎたのでしょう。カダフィ大佐の思惑はうまく行きませんでした。
欧米の支援を得た反政府軍は、最終的にリビアの主要都市を制圧し、ついにカダフィ大佐を捕え、その後カダフィ大佐は亡くなります。
拘束の際に受けた傷が原因で亡くなったとも言われていますが映像をみると撃たれて亡くなったような気もします。。。
当時、カダフィ大佐が拘束された際の映像がメディアで流れましたが、かなりショッキングでしたね…。
結局、最も嫌っていた欧米諸国の手によって最期を迎えるという、皮肉な結末になってしまいました。
カダフィ大佐って何をした人?政策がすばらしい!まとめ
今回はカダフィ大佐大佐の功績や過激なエピソードなどを中心にまとめました。
国民に政治的な自由がなかったという点では、確かにカダフィ大佐は独裁者ですし、様々なテロ活動を支援していたのも事実です。
でも、手厚い福祉政策によって国民を豊かにし、教育も普及させたという功績はやはり大きいのではないでしょうか。
そう考えると、単純に「極悪人」とも「偉人」とも言い切ることはできなさそうです。
面白いエピソードもたくさんあり、いろんな意味で人間味がある人物という感じがしますね。
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【参考文献・参考サイト】
『日韓「政治決着」で葬られた謎の拉致事件』PRESIDENT Online https://president.jp/articles/-/23601?page=1
参考文献:塩尻和子編著『リビアを知るための60章【第2版】』、2020年、明石書店
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