ヒッタイトは「ハッティ(ヒッタイト)の国の千の神々」と言うほどたくさんの神々がいる国でした。
あらゆる他民族を支配するようになり、それらの神様を受け入れて信奉していたヒッタイトの神話が今も多く残されています。
でもヒッタイトってなぜそんなに神様がたくさんいるのでしょうか?
そしてたくさんの神様の加護があるはずの国が滅びた理由とされる「海の民」とは一体何者だったのでしょうか?
それでみていきたいと思います!
ヒッタイト人は寛容な性格?!神様がたくさんいた
現在のトルコがある地域にヒッタイト人が移り住んできたのは紀元前2000年頃のこと。
紀元前17世紀には統一国家となり、紀元前14世紀頃に領土は広大になり全盛期を迎えました。
ヒッタイト人は、この地に元から住んでいた原住民族を支配下に置いて行きますが、その時その民族の優れた文化や技術、宗教や神話、戦術に至るまでも吸収して行きました。
ヒッタイト人は支配者である自分たちの文化や慣習を、支配される人たちに押し付けることなく、むしろ積極的に受け入れて自分たちのものにしていったのです。
すごく、寛容な人たちだったでしょう、他民族の神様の名前ですら、ヒッタイト語化せず、元の名前のまま使っていたそうですよ。
おかげで神様は膨大な数になり、どの神が上位とか下位とかの階級的な整理は特にされなかったようです。
神様の秩序や格はなく全てが同格です。一応、二大最高神として「アリンナ(町の名前)の太陽女神」と「天候神」と言う神様がいるものの、他の神々がそれより下というわけではないのです。
おおらかで寛容と言えばそうですが、細かい整理が苦手な民族だったんでしょうか・・・。
ヒッタイトの神様は人間らしい?!神様の立ち位置
ヒッタイト人の考える神像もユニークで、彼らは神を不死身な人間のようなものと考えていました。神々も働き、お腹が空いたり病気になったり、死ぬことさえあるのです。(不死身なのでずっと死んでいるわけではないですが)
神様も人間と同じような感情や願望を持っていて、「神々と人間の欲求に違いはなかった。不快に感じることにも違いはなかった」と文書に残されています。
ヒッタイト人はあらゆる場面で神に意見(神託)を聞き、何か災いがあれば神の怒りゆえと考え、どの神がなぜ怒っているのかを調べて生贄などを捧げ、神の怒りを鎮めることで災いを取り除こうとしていました。
ここでちょっと面白いヒッタイトのこぼれ話。とある時代のペスト祈祷の時、もし疫病が終わらなければ、こうして毎日捧げている生贄がなくなるから治めて欲しいと、神に掛け合っているとたそうですよ。
ひたすら神を敬い恐れ、なされるがまま受け入れるのではなく、なんだか人間同士の駆け引きみたいですよね。
そんなヒッタイトの神々が登場する神話を次にご紹介します!
ヒッタイトの神話「消えた天候神」

この神話は、嵐の神の息子で農業と豊穣を司る天候神テリピヌが怒り狂っていなくなってしまうストーリーです。
この神話が記された粘土板の最初の20行が欠けているため、なぜ怒り狂っているかは不明です。
とにかく何かに猛烈に怒ったテリピヌは、なぜか靴を左右逆に履いて行ってしまいました。
そうすると、牛や羊は息絶えたり子どもを産まなくなったり、木々や畑などあらゆる植物が枯れはて、人間も神々も飢えて死んで行ってしまいます。
怒った理由がわからない、テリピヌ神の出奔
大いなる太陽神が神々を集め、みんなでテリピヌを探しに行きます。あらゆる神々が捜索してもテリピヌは見つかりません。
そこで太陽神は立派な鷲を解き放ち、全ての高い山、深い谷、水の底を探しましたがテリピヌはやっぱり見つけられませんでした・・。
最後に、全ての神の母であり、こちらも豊穣の神であるハンナハンナが放ったミツバチが、草原に眠るテリピヌを発見!
ちくっと刺して目を覚まさせますが、テリピヌは寝ているところを起こされるわ、痛いわでまた怒り出し、川を止めたり家々を壊し始めたりと、さらにひどいことに。
そこで呪術と治療の女神カムルセパが、イチジクや蜂蜜などをテリピヌに捧げ、「この蜂蜜が甘いように、油が柔らかいように、テリピヌの心も同じように甘くあるように、柔らかくあるように」と祈りテリピヌを説得したことで怒りは静まり、ようやく一件落着したのでした。
この神話の言いたいこととは?
この神話は、最後にテリピヌが国の重要性に気がつき、王と王妃を庇護した、と書かれています。
日本の神話でも、天照大神が天岩戸に隠れてしまって世界は真っ暗闇になってしまい、他の神々が必死で外に連れ出そうとするお話がありますが人間みたいに何かが嫌になってどこかへ行ってしまう神様と言うのは、万国共通なんですね。
神々の庇護のおかげで農作物や家畜などの生活に欠かせない食べ物や、豊かな生活が送れていることへの感謝を忘れずにいなさい、ということに加えて、このテリピヌ神の話は、最後に加えられた文により王と王妃が豊穣の神テリピヌによって守られた存在なので、国は安泰だと伝えたかったのかと思われます。
それにしても、靴を左右に履くのは何の意味があるのか気になります・・・。
この他にも、知恵の女神エアが剣で石の怪物をやっつける話や、神が人間を使って竜を退治する話など、ユニークな神話がたくさん残されています。
ヒッタイトの滅亡の原因は海の民?
千もの神々に守られていたはずのヒッタイト帝国にも終わりが訪れます。
紀元前1200年頃、ヒッタイトの首都ハットゥシャは大火災に見舞われ廃墟と化しました。大国だったヒッタイトは忽然と消えてしまったのです。
その滅亡の原因の一つが「海の民」による侵攻だったと言われていますが、実はその「海の民」のことは詳しく分かっていないのです。
海の民は、一つの民族ではなく複数の民族が寄せ集まった集団であることは分かっていますが、それらがどこの出自なのかは不明なのです。
1つだけ、集団の一民族であるペレセト人がペリシテ人だということは特定されています。
海の民は、大国エジプトもその侵攻を恐れる程、当時は近隣諸国にとって脅威の存在だったのですね。
海の民は「海の」民ではなかった?!
「海の民」という名前はエジプトの碑文に残された、彼らを表す文から名付けられました。
エジプト人から見て、地中海の向こう側(北側)からやってきたので「海の民」と呼んでいましたが、実際にはヨーロッパの大陸からやってきた人たちと考えられています。
ただそれが具体的にどの地域だったのかまではまだ分かっておらず、謎は残されたままです。
東地中海沿岸の国々に侵攻して行った海の民の一部ペリシテ人が、やがてシリア南部に辿り着き定住し始めた土地を、「ペリシテ人の土地」という意味の「パレスチナ」と呼ぶようになりました。
ヒッタイトは千の神々の国!その神話と海の民の謎・まとめ
神話と言うのは、その土地に残る伝説や伝承が伝えられ残されてきたもの。3000年もの昔の日本から見れば遥か遠い地のお話でも、神話を読むと、それと同じ話を伝え聞いていた当時の人々の様子が垣間見えるようで身近に感じられます。
突然の終末を迎えたヒッタイト帝国は、まだまだこれから解明されていく出来事があるかも知れませんね。
ヒッタイト帝国–消えた古代民族の謎– ヨハネス・レーマン
ヒッタイト帝国 ジム・ヒックス
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