今日は、大正4年12月9日から14日にかけて北海道三毛別地区・六線沢で起こった世にも不思議で恐ろしい「三毛別ヒグマ事件」について解説と考察を交えみていきたいと思います!
羆憎い殺された村人の数はなんと7人・・・なぜこんなにも犠牲者が出てしまったのでしょうか?羆だけでこれだけの犠牲者がでるのはとても珍しいこと。
というかこれまのでヒグマ獣害史をみてもこれほど凄惨な事件はこれがはじめてなんですね。
ではなぜこんな恐ろしい事件が起こったのか考察をまじえ早速みていきましょう!
三毛別ヒグマ事件・2つの悲劇
三毛別ヒグマ事件では、大きな悲劇が2回起こりました。
悲劇とは、ヒグマの襲撃のこと。
悪魔のようなヒグマが、民家に押し入り人を襲ったのです。先に述べた死亡者は、この襲撃によって命を落としました。
ここでは、大勢の被害者を出したヒグマの襲撃について説明していきます。かなり凄惨な描写が入りますので、苦手な人はご注意下さい。
見るも無残!太田家の悲劇
ヒグマによって、最初に襲撃を受けたのは、比較的新しい入植者である太田家でした。太田家は夫・太田三郎、その妻・マユ、そして養子である幹雄、寄宿人であるオド(通称)の4人で構成されていました。
12月9日の昼頃に、三毛別ヒグマ事件は始まりました。
オドが昼食のために太田家に帰ると、幹雄が囲炉裏の前に座っているのが見えました。幹雄は頭を下げ、オドが声を掛けても返事をしません。その傍にはジャガイモが転がっており、それはまだ温かかったそうです。
オドは幹雄がふざけているのだと思い、彼の肩に手を掛けました。
しかし、オドは異変に気が付きます。
幹雄の喉は切り裂かれ、側頭部には深い穴が穿たれていました。血の塊ができており、すでに息はありません。引き裂かれた皮膚に血塗れの光景はまさに地獄絵図。
オドが帰宅するまでに家で留守番をしていたのは、幹雄とマユの2人。オドは恐ろしいながらもマユを探し、声を張り上げます。
しかし、一切の応答がありませんでした。
オドはこの事態を知らせに、他の入植者の元へと向かいました。
数人を引き連れ、オドは惨劇の場に戻ってきました。入植者たちは現場の状況に恐怖を感じながらも、その場を調べて回ります。結局マユはおらず、見つかったのは大量の血痕と、頭皮から引きちぎられ、窓枠に絡みついた大量の髪の毛だけ。
さらに窓は破られ、大きな足跡が残されていました。
これにより、入植者たちは犯人が人間などではなく、とてつもなく恐ろしいヒグマであると気が付いたのです。その上、ヒグマはマユを殺し、体を持ったまま去って行ったと考えることができました。
「おっかあが、少しになっている」
吉村昭「熊嵐」(新潮社)p47より引用
次の日、30人ほどの男性陣をかき集めた捜索隊が結成され、マユの遺体を探しに森へ入りました。
ヒグマの足跡を追いながら進んでいると、男たちの目の前に巨大な茶色い塊が現れます。その塊こそが、幹雄を殺し、マユの遺体を持って行ったヒグマでした。
ヒグマは彼らに襲い掛かります。捜索隊の中には猟銃を持つ者が5人おり、ヒグマに向けて発砲します。しかし、上手く弾が発射されたのは1丁だけでした。それでもヒグマは音に驚いたのか、踵を返して逃げ去りました。
捜索隊がヒグマのいた場所を探ってみると、赤く染まった雪と枝に覆われたマユの体の一部が見つかりました。
それは、決して「遺体」と呼べるものではありませんでした。
残っている部分は頭の一部と、片脚の膝から下の部分のみ。まさに、「人間の残骸」と呼ぶにふさわしいものだったのでしょう。
人の味を覚えたヒグマ
太田家を襲撃しヒトの肉を食べたことで、人間はヒグマにとって「エサ」の一種になってしまいました。これ以降、ヒグマはヒトの肉を積極的に求めるようになります。
ヒグマ程の力を持っていれば、武器を持たない人間など恐ろしくはありません。狩るのも簡単で、すぐそこにある手軽な食料と認識してしまったのでしょう。
ヒグマは頭が良く、非常に執着心の強い生物です。
「妻や息子の弔いがしたい」という、人間として当たり前の感情が、太田家に再度の襲撃をもたらします。通夜の最中に、ヒグマが壁を突き破って入って来たのです。
幸いなことに、この襲撃での死傷者は出ませんでした。勇気を出した人々が大きな音を立てたり、手持ちの銃を発砲したりと奮闘した結果、ヒグマを追い払うことに成功したのです。
しかし、一度ヒトの味を覚えたヒグマが、それで諦めるはずはありませんでした。
明景家の悲劇
太田家から逃げ出したヒグマが向かった先は、0.5㎞ほど離れた明景家でした。
その当時明景家にいたのは、オド以外女性と子供ばかりの計10人。他の家からヒグマの難を逃れるため、避難してきていた妊婦のタケも含まれていました。男性陣は太田家の救援に駆り出されているか、休憩をとっており留守にしていたのです。
12月10日夜、太田家からヒグマが逃げ出して間もない頃のことです。明景家の妻・ヤヨは、ヒグマに対処する男性陣のために食事を準備していました。
そのとき、巨大な熊が窓を突き破り、家の中へと侵入してきました。
明景家は狂乱の中にありました。鍋はひっくり返り、明かりは消え、ヒグマの息遣いと臭いに満ち満ちています。
この襲撃で、ヤヨと彼女が背負っていた子供、そしてオドが重症となりました。そして明景家での犠牲者は、ヤヨの3歳になる子供・金蔵と、明景家に避難していたタケとその子供4人の、計5人となります。
中川の家にむかっている足跡を眼で追った男の一人が、区長に青ざめた顔を向けると、
「みんな逃げたのだろうか」
と、言った。
区長は、こわばった顔を明景の家に向けたまま、
「今、中でクマが食ってる」
と、抑揚のない声で答えた。吉村昭「熊嵐」(新潮社)p60~61より引用
タケはこの事件の中でも、最も凄惨な被害者と言えるでしょう。
タケは腹を切り裂かれ、胎児は外に転がり出ました。そしてヒグマは、タケを生きたまま貪り食ったのです。明景家の危機に駆け付けた人々は、まだ動いている胎児を見たと言います。
明景家は血で溢れていました。床や天井を覆う血。辺りに散らばる、かつてはヒトだったものの残骸。
三毛別・六線沢の人々は、今相手にしているヒグマの「異常さ」ともいえるものを、この時に目の当たりにしたのです。
それはまるで、決して満腹せずに獲物を求める怪物の姿でした。
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ヒグマ討伐対の結成、そして射殺
ヒグマがもたらした被害は大きく、自分達での解決は望めそうにありませんでした。
巨大で、とてつもなく狂暴なヒグマ。その上、その怪物はヒトを食います。斧や手入れの行き届いていない銃で、どうやって対応できるというのでしょう。
そんな中、使者からの知らせを聞いた警察が動きます。警部(羽幌分署長)を現場に派遣し、ヒグマ討伐隊を結成することになったのです。
被害者の遺体を囮として
六線沢の住民は三毛別(事件の名前からして分かりにくいと思いますが、三毛別という地域が少し離れたところにありました)に避難し、六線沢は無人の地となりました。
遺体を引き上げることはできませんでした。太田家の通夜のように、ヒグマを引き寄せてしまう可能性があったからです。雪が降る寒村に、遺体だけが残されました。
討伐隊に先行して六線沢を訪れた検死医は、人の骨や髪などが消化されないまま排泄されたヒグマの糞を発見しています。それを発見したとき、検死医はどんな気持ちになったのでしょうか……
やがて、分署長は三毛別の若者やアイヌの人々などで構成されたヒグマ討伐隊を編成しました。
その数は300人近く、銃は60丁もありました。ヒグマの悪夢にうなされる人々にとっては、どれほど心強いことだったでしょうか。
しかし、相手は頭の良いヒグマ。一筋縄で行くはずがありません。
そこで、討伐隊は一つの案を考えつきます。六線沢に残された遺体を、そのまま囮として使い、おびき出したヒグマを射殺する、という案でした。
この案を、この記事を読んでいる人はどう考えるでしょうか。おそらく、多くの人が嫌悪感を抱くことでしょう。筆者も同じです。これを提案した人自身も、遺族の反感を受けることを覚悟していました。
しかし実際は、全くと言って良いほど反論はありませんでした。そこに忍び寄る死の恐怖。できるだけ早く、その恐怖をぬぐい取りたいといった気持ち。仕方がないといった、諦めの気持ち。もしくは、それらの全て。六線沢の人々は、疲れ切っていたのです。
そうして、この作戦は決行されました。
明景家の梁の上に、銃を持った人たちが登り、ヒグマが現れるのを待ちます。ヒグマは確かに、家付近までは近寄ってきましたが、決して入ろうとはしませんでした。
敵対する人間の気配を、感じ取ったのでしょう。
遺体を囮にする作戦は、確かに三毛別への襲撃は抑えたのかもしれません。しかし、最終的な目標には辿り着くことができませんでした。
考察!なぜ羆は女性のものに執着したのか?
三毛別ヒグマ事件を起こした個体は、女性に対し異様な程の執着を見せました。これは、最初の被害者がマユという、女性であったことが関わっています。
男性や男児は殺されたとしても、「食べられる」被害を受けることは無かったのです。
ヒグマは無人となった六線沢を荒らしまわりました。家畜を襲い、保存食を荒し、まさに「やりたい放題」といった所でしょう。
しかし、残された男児の遺体はそのままだったのです。反面、女性が使っていた湯たんぽは齧(かじ)られ、女性のものと思われる枕はズタズタに切り裂かれていました。
これは、ヒグマに最初に食べられたのが、マユという女性であったことが関係しているとされています。
初めて味わった人間が女性だったヒグマ。もしかしたらヒグマは女性のみを、食料として認識していたのかもしれません。
マタギ・山本兵吉によって射殺される
12月14日。
分署長に率いられた討伐隊は、大規模な山狩りを行いました。その日の内にヒグマを射殺することを心に決め、行動を起こしたのです。
その中に、優秀なマタギ(狩猟者)である山本兵吉が参加していました。しかし彼は皆と行動を共にせず、単独でヒグマを追おうとしていました。
兵吉は、優秀なヒグマ打ちでした。
素行は少々荒いものの、1人切りで山を駆け巡り、ヒグマを仕留めてきた人物です。彼は大人数で動けばヒグマに感付かれ、仕留めそこなうことを知っていたのです。
そうして兵吉は討伐隊から離れ、1人でヒグマを追うことになりました。
2発目がヒグマの頭に命中
やがて山頂に近づいた兵吉は、木の下に佇むヒグマを眼にします。彼は静かに傍に近寄り、手持ちのライフルでヒグマの胸辺りを打ち抜きました。しかし、心臓からはわずかに外れてしまい、ヒグマを完全に撃ち殺すことはできなかったのです。
ヒグマが再度立ち上がるのを見ると、兵吉は素早く次の弾を込めます。そして発射した弾は、ヒグマの頭に命中しました。
これが、三毛別・六線沢を恐怖に陥れたヒグマの最期でした・・・・
その後、ヒグマの体は皮を剥かれ、肉は開拓民たちの腹の中に収まりました。漢方薬として高値で売買される「熊の胆」などは、兵吉が持ち帰りました。
開拓地を恐怖に陥れた怪物は、こうして一人の優秀な狩人によって打ち取られたのです。
それでも、六線沢に人が戻ることはありませんでした。六線沢は今もまだ無人で、ヒグマの雰囲気を随所に感じられる土地として残っているのです。事件の名残は今もなお人の心に恐怖心を沸かせるのでしょう。
分署長が銃口を羆に向けて近づくと、
「死んでいるのか」
と、銀四郎に声をっけた。
「毛がしおれている。掌もひらいている」
銀四郎は、低い声で答えた。
区長の胸に、羆の死がようやく実感として強く意識された。急に激しい嗚咽が喉に突き上げてきた。吉村昭「熊嵐」(新潮社)p200~201から引用
※銀四郎とは兵吉のこと
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三毛別羆事件をわかりやすく解説します!なぜこんなに被害者が増えてしまったのか?まとめ
最悪の獣害事件、三毛別ヒグマ事件の流れをご紹介してきました。いかがでしたでしょうか?
比較的近年の、北海道という身近な場所で起こった惨劇。当時と今では状況は違いますが、ヒグマが恐ろしい存在であることは変わりません。こうした強大な脅威の前では、私達人間は小さなものなのです。
今回の記事では、吉村昭が書いた小説「熊嵐」からの引用を所々に挟みました。この小説は綿密な取材を重ね、限りなく事実に基づいて描かれています。
ほんの一言、少しの文言それぞれが、当時の開拓民が感じたであろう恐怖を、如実に表しているのです。
また、こちらの事件は映画化され、危機迫る村人たちの恐怖をリアルに表現しています!
自然から遠ざかった現代に住む私達。もう一度、三毛別ヒグマ事件を考え直す必要がありそうです。
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