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生麦事件 わかりやすく解説!イギリス人が悪いのか?遺体写真あり(閲覧注意)

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突然ですが、生麦事件ってご存知でしょうか?

名前が独特なので一度聞いたら忘れませんよね。

この生麦事件、歴史の教科書にも出てくるので、一度は聞いたことがある方も多いのではないでしょうか?

江戸時代末期、お殿様の行列に突っ込んだ外国人が「無礼者!!」と無残にも斬られてしまう事件が起こりました。

この日本でですよ!なんだか今だと国際問題になりそうな事件・・・その事件を生麦事件といいます!

そして生麦事件はその後の日本に大きな影響を及ぼしたといわれています。

今回はその生麦事件についてわかりやすく解説したいと思います!

目次

生麦事件がおこった当時の時代背景

最初に、生麦事件が起こった当時の日本を簡単に説明しますね。

1853年、ペリーがアメリカの黒船に乗って日本に開国を求めてやってきました。

当時の日本は徳川幕府の元、鎖国をおこなっていたので日本中が大混乱。

黒船にびっくりした徳川幕府は、翌年の1854年にアメリカと日米和親条約を結び、1858年には日米修好通商条約を結びました。

その後続けてオランダ、ロシア、イギリス、フランスとも条約を結んでいきました。

この条約によって日本のいくつかの港が開港されました。

そして開港された港には外国人居留地がつくられ、外国人は居留地に住むことが許されるようになったのです。

しかし当時は「外国人を追い出せ!」という攘夷論が多く、外国人が殺される事件もたびたびおこっていたそうです。

開国したばかりの日本に、しかも外国人ということで狙われる国に住むなんて、ちょっと勇気がいりそうですね・・・

生麦事件ってどんな事件?

1862年薩摩藩主の父であり事実上の最高権力者の島津久光が、江戸から京都に向かう途中に事件はおこりました。

島津久光が引き連れていた軍勢は400人ほど。行列になると、とっても長い行列になりそうですね。

この行列が生麦村(現在の神奈川県横浜市鶴見区)を通過していた時、前から馬に乗った4人のイギリス人がやってきました。

行列の先頭にいた薩摩藩士たちは、このイギリス人たちに馬からおりて、道を譲るようジェスチャーで説明します。

大名行列には注意・無礼者は斬る!

少し話がそれますが・・・

皆さんも時代劇などで見たことありませんか?大名行列の先頭にいる人が「下にー下にー」と言っているアレ。

当時、大名行列の前を横切ったり、行列を乱したりすることは無礼なこととされ、場合によっては斬られてしまうこともありました。

そのため「下にー」「よけろー」「片寄れー」などの言葉を行列の先頭の人が言って「今から大名行列がやってくるよ」と警告してくれていました。

島津久光の行列の先頭の薩摩藩士もこのイギリス人たちに警告してくれていたのですね。

誤解されがちですがこの事件は闇雲に外国人だからといって殺されたわけではないのです。

慣習を知らず殺されたリチャードソン

しかし日本語を理解できなかったイギリス人たちはそのまま馬に乗っていってしまいます。

島津久光の乗った駕籠(かご)の近くまで来たときに、「なんだかやばそうだぞ!?」とやっと気づいたイギリス人たちでしたが、時すでに遅し!!

イギリス人たちは馬を降りることなく引き返そうとしたため、行列を乱してしまい、「無礼者!!」と斬られてしまいました。

この事件で1人は亡くなり、2人が重傷だったそうです。日本語を理解できていたら・・・

ジェスチャーを理解できていたら・・・

日本の文化を理解していたら・・・

斬られることはなかったかもしれませんね。その国の文化や習慣を理解することの大切さが分かる事件です。

なぜ斬られたイギリス人たちは生麦村にいたの?

引用元:https://commons.wikimedia.org/wiki

最初に説明したように、条約により横浜港も開港され、横浜居留地には商人などの外国人が住めるようになりました。

この横浜居留地には開国したばかりの日本との貿易で儲けようと、イギリスの商人たちがたくさんいたそうです。

未知の国でちょっと怖いけど、億万長者になれる可能性があれば・・・知らない土地でもがんばれそうですね!

生麦村で斬られたイギリス人のうち、マーシャルとクラークの2人は横浜在住の商人でした。

そして香港在住の商人の妻ボラディル婦人と、上海在住の商人であるリチャードソンは横浜観光にきていました。

マーシャルは横浜観光にきた義妹のボラディル婦人に日本の景色や文化を楽しんでもらおうと思い、友達のクラークとリチャードソンも誘い川崎大師に観光へ行こうと計画を立てました。

その途中で生麦村を通過したそうです。

そして生麦事件により、リチャードソンは死亡、マーシャルとクラークは重傷、ボラディル婦人は髪を斬られてしまいました。

楽しい観光になるはずが、こんなことになるなんて出発したときは思ってもいなかったでしょうね・・・

なぜ生麦事件はおこったのか?

最初に説明しましたが、当時の日本には「外国人を追い出せ!」という考えの武士たちがたくさんいて、外国人が殺される事件もよくおきていました。

そこで幕府はもめ事がおこらないよう、各国の公使に藩主の行列に会った時には、日本の文化に従うように伝えていました。

また、島津久光が江戸から京都に向かう次の日には、天皇の使いが江戸から京都に向かう予定でした。

幕府はこの天皇の使いの行列が通ることは各国の公使に伝えていましたが、島津久光の行列のことは伝えていませんでした。

もし、幕府が島津久光の行列が通ることも伝えていれば、イギリス人たちも気を付けて観光を楽しんだかもしれません。

また、マーシャルたちイギリス人が日本の文化や日本語をもっと理解していれば、生麦事件は防げたかもしれません。

生麦事件が起こる少し前に、島津久光の行列と遭遇したアメリカ人商人がいました。

この商人は日本の文化をよく理解していたので、行列に出会うとすぐに馬から降りて、道を譲り、帽子を脱いで礼を尽くしたため、特に何も起こらなかったそうです。

郷に入っては郷に従えってやつでしょうか。

行列に遭遇した時の対処法を理解していたら斬られなくて済んだのに・・

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生麦事件~その後どうなったの?~

イギリスの抗議に幕府は慌てふためき、事件について説明するよう薩摩藩に求めました。

しかし薩摩藩は「浪人がやってきて、外国人を斬ってどこかへ行ったけど、それは薩摩藩とは無関係!」と嘘の報告をして帰ってしまいました。

そんな薩摩藩の態度に幕府は憤慨!!

そしてそんな幕府に、これまた自国の商人を斬られて憤慨しているイギリスから賠償金を支払うよう要求がありました。

その額なんと10万ポンド!!

ちなみに現在の貨幣価値に置き換えるのはなかなか難しく諸説ありますが、18憶円以上とも200憶円以上ともいわれています・・・びっくり!!とにかくすごく大金だったってことですね。

もちろん薩摩藩にも犯人の処刑と賠償金2万5千ポンドの支払いを要求してきました。

最初、幕府も薩摩藩もそれを拒否します。

しかし次々と艦隊が横浜港に現れては幕府に圧をかけたので、ついに幕府は賠償金を払ってしまいます。

それでも薩摩藩は要求を拒否!!

怒ったイギリスは7隻の艦隊を鹿児島湾に派遣し、犯人の処刑と賠償金の支払いを要求しますが、これまた薩摩藩は拒否!!

圧倒的な武力を見せつけて交渉に臨む外交はイギリスの常套手段であり、アジアではこの手段で優位に交渉を進めていました。

それなのに薩摩藩は要求を拒否!!!

頑固だと思われていそうですね・・

とうとうしびれを切らしたイギリスは薩摩藩の蒸気船3隻を拿捕し、それがきっかけで薩英戦争が勃発してしまいました。

この薩英戦争は引き分けとなり、その後イギリスと薩摩は友好関係を結ぶようになりました。

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生麦事件わかりやすく解説・イギリス人が悪いのか?まとめ

様々な不運が重なって起こってしまった生麦事件。当時の歴史背景も取り入れながらわかりやすく説明してみました。

生麦事件をきっかけに薩英戦争へと進んでいった薩摩は、イギリスの力を思い知り、これからは海外の知識を取り入れ強い日本を作っていくべきだと考えるようになります。

そして後の薩摩藩では沢山の偉人たちが活躍し、日本の近代化を進めていくことになります。

そのため、生麦事件はその後の歴史に影響を与えた事件と言っても過言ではないでしょう。

それにしても、郷に入っては郷に従えは現代でもいえることですよね。海外旅行に行く人も年々増加している中、外国に行きその国の文化を知らなかったじゃ済まされない事もあるでしょう。

このイギリス人たちのように、楽しい観光が取り返しのつかないことにならないように、海外に行くときはその国の文化を学んでから行きたいものですね。

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