幕末

西郷隆盛は何をした人なのかわかりやすく説明します!日本を近代国家に導いた人物!

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明治維新で活躍し、維新の三傑の一人といわれている西郷隆盛。知名度はあるのに西郷って何をした人なの??と聞かれると答えられない人がほとんどです!

そう言われたら犬が好きなごっつい人としか言えないわね!

簡単に言うと西郷隆盛武士の時代を終わらせ日本を近代国家に導いた人なんですね!

これだけでは何のことかさっぱりわからない人のために今回は西郷隆盛は何をした人なのか生い立ちからわかりやすく説明したいと思います!

西郷隆盛は薩摩藩の下級武士の出身

西郷隆盛は1828当時の薩摩藩の下級武士、西郷吉兵衛とマサの長男として生まれました。

出生地はは現在の鹿児島県鹿児島市加治屋町あたりだそうです。

子供のころの西郷隆盛の家は借金が多く、また西郷隆盛の下には6人もの妹と弟がおり、とても貧乏な生活を送っていました。

偉人が幼いときに苦労したというのはよくある話じゃ

郷中で教育をいけていた西郷

当時の薩摩では「郷中(ごじゅう)教育」といって、地域ごとに分けられた郷中ごとに年長者が年少者たちに武術や勉強を教える仕組みがあり、西郷も熱心に勉強や武術を学んでいたそうです。

子供のころから西郷隆盛は体も大きく、また仲間思いであったため、同世代や年下の子供たちから慕われていました。

西郷が1112歳の頃、他の郷中の者と友人が喧嘩をし、止めに入った西郷が右腕を刀で切られてしまう事件がおこります!

命は助かったものの右腕の神経を損傷し刀を握れなくなりました。

昔の医療じゃ治せなかったんじゃな!

そのため西郷隆盛は武術をあきらめ、学問を励むようになりました。この頃の学びが後の活躍に活かされていくのですね。

大きな体をしているので武術ができれば相当に強かったでしょうね!もったいない・・

藩主の島津斉彬との出会い

1844年西郷隆盛は「郡方書役助」という役職に就き、農業について調査や、年貢の見積もりなどの仕事をするようになりました。

この時に農民の大変さや、年貢を納める事の厳しさなどを知り農政についての意見書を何度も提出するようになったそうです。そして、これが藩主である島津斉彬の目に留まったのです。

その結果1854年、西郷隆盛は島津斉彬の参勤交代に付き従うことになり「中御小姓」という役職に就くようになりました。

江戸に到着すると今度は「庭方役」という役職に就き、島津斉彬のそばに控えることになります。

開国と鎖国の間に揺れる日本

この頃の日本は江戸幕府による鎖国を行っていました。

しかし、1853ペリーが開国をせまり黒船にのって日本にやってきたのです!!もちろん日本中が大騒ぎ。

そして「鎖国を終わらせよう」という開国派、「これまで通り幕府が主となり鎖国を続けよう」という保守派、「外国と戦おう」という攘夷派・・・

いきなり家にターバン巻いた人がきてお友達になろうと言われたら困るのと同じじゃな

中には「幕府を倒そう」という討幕派や、「天皇中心の政治に戻そう」という尊王派まで・・・この開国を迫る外国人に対して日本は様々な思想が入り乱れ、大混乱になってしまったのです!

西郷隆盛の活躍

島津斉彬は幕府と天皇が協力して政治を行い、開国して日本も外国に負けないように最新の技術を取り入れるべきだという考えの持ち主でした。

西郷隆盛は島津斉彬から日本の将来に関わることをたくさん事を学びながら他藩の学者や思想家らと交流を図り、各方面の情報を島津斉彬に伝えていました。

またこの頃、島津斉彬の養女である天璋院篤姫と、第13代将軍徳川家定との結婚にも力を尽くしました。

しかしながら、西郷隆盛が師として仰いでいた島津斉彬が急死で失脚し、また安政の大獄が始まると、西郷隆盛は薩摩藩によって奄美大島に流されてしまいます。

西郷の島での暮らし

西郷は奄美大島では「菊池源吾」と名乗り、島の人との交流もなく孤独に暮らしていました。

尊敬していた島津斉彬の早すぎる死や、薩摩藩の対応、今後の日本の事などを考え、毎日孤独に過ごしていた西郷隆盛の気持ちは計り知れないですね!

島で過ごしていくうちに西郷隆盛は島の子供達に教育を行ったり、島に対して理不尽な要求をする役人に対して抗議を行ったりするうちに、島の人々の信頼を得ていきます。

そして、奄美大島の女性、愛加那と結婚し、一男一女が誕生!

西郷・薩摩藩に復帰するも再び流され・・・

3年間奄美大島で暮らしていた西郷隆盛は、1862に薩摩藩に復帰することになります。

しかし新しい藩主・島津忠義の実の父であり、事実上の最高権力者である島津久光の命に背き再び徳之島に流され、その後沖永良部島に流されてしまうことに・・・。

なんか流されっぱなしの西郷隆盛・・・。

しかし、よっぽど社交的だったのか西郷はすぐに島になじんでいきました。沖永良部島でも西郷は島の少年たちに教育や指導をし多くのことを教えます。

西郷隆盛が島で過ごしている間に「生麦事件」や「八月十八日の政変」がおこり時代が大きく動いていました。

薩摩藩の中でも「西郷隆盛が必要だ」との声が出始め、小松帯刀や大久保利通の働きもあり、再び薩摩藩に復帰することになりました。

行ったり来たりと本当に大変ですね!

西郷隆盛・歴史の中心人物へ

その後西郷隆盛は「軍賦役兼諸藩応接係」という役職につき軍の最高司令官でありながら外交官の仕事をこなすようになります。

「禁門の変」では尊王攘夷派の長州藩が京都に攻め入ったため、京都御所を守護するよう薩摩藩も出兵することになりました。

指揮官として軍を率いて、西郷隆盛自身も軽いながらも負傷しましたが見事勝利を収め、西郷隆盛の名は人々に知れ渡ることになりました。

しかし、長州藩と薩摩藩との対立は決定的になりました。

幕政改革を訴えつつ公武合体を目指していた薩摩藩でしたが、幕府に対する不信感も強まり、徐々に討幕を考えるようになります。

西郷隆盛・薩長同盟を結ぶ

江戸開城談判

 

そして1866年、西郷隆盛は土佐藩の坂本龍馬の助けもあり、犬猿の仲だった長州藩と「薩長同盟」を結び、時代は討幕に傾いていきました。

坂本龍馬の協力もありましたが西郷隆盛は近代国家へと日本を動かして行ったのです。

1867年大政奉還により第15代将軍徳川慶喜は朝廷へ政権を返すこととなりました。

しかし朝廷では幕府よりの公家たちが主導権を握っており、大政奉還とは形ばかりのものでした。

そこで西郷隆盛や岩倉具視は王政復古のクーデターをおこし、新政府を発足させました。

その後、新政府と旧幕府軍との間で「鳥羽・伏見の戦い」が起こり、「戊辰戦争」が始まります。

西郷隆盛は「東征大総督府下参謀」に任命され、軍を率いました。

そして、新政府の江戸城総攻撃が決まる中、西郷隆盛は旧幕府軍の幕臣である勝海舟と会談を行い、江戸城の無血開城(1868年に徳川家が江戸城を新政府に明け渡した出来事)を成功させたのです。

もしも江戸城総攻撃が行われていたら、たくさんの人々が亡くなっていたでしょう。江戸城の無血開城は西郷隆盛の大きな功績の中の一つでしょう。

新政府への参加と西南戦争

戊辰戦争後、西郷隆盛は新政府へは参加せず薩摩に戻り過ごしていました。

しかし、その頃の新政府はまだ軌道に乗っておらず、立て直すには西郷隆盛の力が必要だと考えた大久保利通らの説得により、西郷隆盛は参議として新政府に復職することになりました。

そして復職後は廃藩置県という改革を成し遂げ、新政府の中心的な存在になります。

その後、朝鮮に対しての意見の違いから大久保利通らと対立し西郷隆盛は、新政府の役人を辞め薩摩に戻ることになりました。

薩摩に戻った西郷隆盛は私学校を設立し、若者たちへの教育や指導に専念するようになります。常に日本の将来を考えていた西郷隆盛は学問や武術、農業などを教え多くの若者たちに慕われていたそうです。

島に行っても人気者・もともと人を引きつける物があったに違いないわ!

その頃、新政府に対して不満がある士族たちによる反乱が各地で起こるようになり、同じように私立学校の若者たちも新政府に対する不満が募っていきました。

西郷隆盛はそのような考えには同調せずにいましたが、とうとう若者たちの不満が爆発し、日本最後の内乱ともいわれる西南戦争が勃発します。

薩軍総指揮官となった西郷隆盛率いる薩摩軍は九州の各地で新政府軍と戦いますが、徐々に負け戦となり鹿児島に追い詰められていきます。

そして1877924日、銃弾を受けた西郷隆盛は最期を悟ると、傍らにいた別府晋介に「晋どん、もうここらでよか」と言い、皇居の方角に一礼し、別府晋介の介錯によって切腹しました。

国の事を常に考えて行動していた西郷隆盛が、最後は国への反逆者となってしまい、なんとも切ない最期ですが、面倒見の良い西郷隆盛ですから若者たちのことも見捨てる事はできなかったのでしょうね。

西郷隆盛は何をした人なのかわかりやすく説明します・まとめ

西郷隆盛が何をした人なのか西郷隆盛の生い立ちを追いながら説明しました。

島津斉彬のもと日本の事を学び将来を考え、明治維新では政治の中心となり活躍した西郷隆盛。

最後は西南戦争で若者達の不満を抱えながら戦い亡くなります。子供の時から仲間に慕われていた西郷隆盛は、今でも鹿児島の人々に愛されています。

鹿児島のお土産屋さんには西郷さんせんべいや西郷さんグッズが盛り沢山。2018年の大河ドラマ「西郷どん」ではもちろん、2008年の大河ドラマ「篤姫」や、幕末の四大人斬りの一人、中村半次郎こと桐野利秋を描いた2010年公開の映画「半次郎」でも、西郷隆盛の活躍をみることができます。

西郷隆盛のことをもっと知りたいという方は是非鑑賞してみてはどうでしょうか。

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