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ガンジーとは?生い立ちやインド独立戦争との関係をわかりやすく解説します

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痩せっぽちの眼鏡をかけたおじさん。

ガンジーと言えばそんなイメージを浮かべる人がほとんどかと思いますが、実際はインド独立のために熱い闘志を燃やし続けていた男でした。

しかしその方法は非暴力・不服従という今までとは180度違ったもので、そのガンジーの平和的なやり方は以降、多くの活動家の参考となりました。

今回はそんなガンジーの生涯をご紹介します。

不良だった少年時代

引用元:Wikipedia

 

ガンジー1869年、大臣の息子というエリート家庭に生まれました。日本が明治政府になって間もない頃のことです。

彼の小学校時代の成績は決して優秀ではありませんでした。次第に不良少年たちと付き合うようになり、ヒンドゥー教で禁止されている肉を食べたりしていたそうです。

またタバコも吸い始め、そのタバコを買うために召使いから金を盗んだこともあるのだとか!あまり素行は良くなかったようですね。

そんなガンジーは、13歳のときに生涯を共にする女性と結婚します。

「早すぎる!」とビックリされた方も多いかもしれませんが、これは幼児婚という当時の慣習によるものでした。

ガンジー自身は離婚することはありませんでしたが、この幼児婚に対しては悪しき伝統であると、否定的な意見を表明していました。

減少はしているものの、現在も残る慣習です。

差別との出会い

引用元:Wikipedia

 

19歳のとき、ガンジーは弁護士になるためにイギリスへと留学します。卒業後はインドへ戻り見事、弁護士として活動しますが、どうもうまくいきません。

そこで縁あって、南アフリカ1年の契約で仕事をすることとなります。

しかし結局この南アフリカでガンジーは20年以上もの間、仕事をすることとなります。

その理由が「差別」でした。

弁護士として、南アフリカでの有色人種に対する差別と闘っていたのです。

また自身が差別を受けたこともあり、エリートの世界で育ったガンジーは差別の現実を肌で感じたのでした。

非暴力・不服従

第一次世界大戦の最中である1915年にインドへ帰国したガンジー。

当初インドの宗主国であったイギリスを支持していましたが、1919年にローラット法が可決されガンジーは失望。それに反対する有名な非暴力・不服従運動を開始します。

このローラット法とはいわゆる治外法権のようなもので、逮捕状がなくとも逮捕ができ、裁判をせずとも投獄が可能であるという強権的なものでした。

そして実行した非暴力・不服従という方法は決して無抵抗などではなく、抵抗する手段として暴力を用いず、服従をしないという方法でした。

その方法はのちのキング牧師ダライ・ラマ14のやり方の参考となります。

引用元:Wikipedia

 

とはいうものの、たびたびコントロールできない範囲で暴行事件銃撃事件が発生。1922年にある事件が起きてしまいます。

インド民衆が警察署を襲撃して20人ほどの警官を焼死させてしまったのです。

ガンジーはこの事件に大変ショックを受け、運動を中止することを決めます。

ここから数年間、ガンジーは表舞台から姿を消します。

自ら服を作る意味

一回目の運動を行っていた頃、同時にガンジーはインドの独立のためには経済的にも独立をしなくてはならないと考えました。

そこで、自国製品の保護訴えるようになるのです。

ガンジーは自ら持っていた西洋式の衣類を捨て、もはや使われなくなっていた伝統的な糸紡ぎ道具であるチャルカで衣類を作るようになります。

インド国旗の真ん中にも描かれているチャルカを使ったこの象徴的な行動は、ガンジーの大きな功績の一つとされています。

インドの糸車を廻すガンディー」という有名な写真は、現在も教科書などでよく使われているのですよ。

引用元:Wikipedia

何かの問題を解決しようとするとき、自らがお手本となり率先して行動に移す姿勢は、現代でも見習わなければいけませんね。

塩を作る意思表示

しばしの運動中止を経て、塩税がインドの生活に悪影響を及ぼしていると考えたガンジー。1930年には塩税に対する反対運動を始めます。

その活動の中でも特に注目されたのが、海に達するまでの350キロを自らの足で歩き、海に到着すると法を破って塩を作るというパフォーマンス。

引用元:Wikipedia

 

マスメディアが発達しつつあった時代も相まって、世界中から大きな反響を得ることとなりました。

第二次世界大戦

引用元:Wikipedia

 

ガンジーが運動を続けるなか、世界は第二次世界大戦へと突入します。

東アジアを植民地支配していたヨーロッパの国々が日本軍によって次々と退却させられると、インドもイギリスに対して反対運動を起こします。

イギリスは結果的に戦勝国となったものの、戦争によって国力は衰退。遠く離れている上に長年独立運動が起こっているインドの運営を、維持することは難しくなっていました。

そして1947年、ついにインドは独立することとなるのです。

独立

念願の独立後、ガンジー失意のうちにありました。

なぜなら、この独立はガンジーが思い描いていたものではなかったのです。

もともとインドにはヒンドゥー教イスラム教が多く存在していましたが、ガンジーが理想としていたのは二つの宗教の共存によるインドでした。

しかしこの二つの宗教は、インド(ヒンドゥー教)パキスタン(イスラム教)という別々の国として独立することになってしまったのです。

引用元:Wikipedia

 

そんなガンジーの危惧は、現在のカシミール紛争やインドとパキスタンの度重なる衝突などによって、いまも根強く残ってしまっているように思います。

そして翌年の1948年、ガンジーは暗殺されてこの世を去ります。

実行犯はヒンドゥー教の狂信的な信者でした。

ヒンドゥー教イスラム教の共存を目指すガンジーの姿勢は、熱心な信者からは敵だと思われていたようです。

ガンジーとは?生い立ちやインド独立戦争との関係をわかりやすく解説します まとめ

ガンジーの思想はその後、キング牧師ダライ・ラマ14などによって引き継がれていきます。

なぜそれほどまでに、ガンジーは多くの人々を惹きつけることができるのしょうか。

それは非暴力的手段という平和的な方法を真剣に貫いたこと、そして決して順風満帆ではない人生とその人柄も大きく影響しているように思います。

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  • 映画「ガンジー2002
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