日本歴史

崇徳天皇の呪い!?今も天皇家に続く怨霊伝説とは?

スポンサー

百人一首にも和歌を残すほどの才能溢れた天皇が、ひとり無念の死を迎えます。

日本三大怨霊の一人とされる第75代崇徳天皇(すとくてんのう)です。

平安時代末期、時代の中心が武士へと移ろうとしていた頃、崇徳天皇は何を思って死んでいったのか?

日本を、そして皇室を今も呪い続ける理由は何なのか?

最強怨霊ともいわれながら歴史上の人物の中では、今一つ影の薄い崇徳天皇の生きざまに迫っていきます。

出生そのものが呪われていた崇徳天皇の生涯!!

引用元:Wikipedia

そもそも崇徳天皇を知っている人はどれほどいるでしょうか?

日本三大怨霊といわれる平将門(たいらのまさかど)・菅原道真(すがわらみちざね)と比べると知名度が低いと思いませんか?

崇徳天皇の知名度の低さの原因は、天皇としての権力を実際には持っていなかったからと考えられます。

天皇という最高権力者になったにもかかわらず恵まれない人生とは、どのようなものだったのでしょうか?

崇徳天皇の祖父は、白河法王(しらかわほうおう)という絶対権力者でした。

崇徳天皇の父親・鳥羽天皇(とばてんのう)は、天皇という地位についてもなお白河法王に言われるがままの政治を行っていたのです。

表の権力者と実際の権力者が違う二重構造の政治を、「院政」といいます。

順調に崇徳天皇が後を継げば、父親の鳥羽天皇が院政を行うことになります。

ところが鳥羽天皇は崇徳天皇が天皇になると、ある条件を出して崇徳天皇の弟・体仁皇子に天皇を譲るように提案します。

「弟をお前の養子にして体仁皇子が天皇になれば、院政ができるだろう?」

政治の権力を渡してやるといわれたも同じことです。

これは崇徳天皇にとって悪い話ではありませんよね!

そうなると、体仁皇子は崇徳天皇の「皇太子」となるはずです。

ところがなんと、譲位の宣明には「皇太弟」と記されていたのです。

院政は親子間だからこそ成立するのですが、兄弟では将来的に院政を行うことは不可能で、崇徳天皇が権力を握ることはできません。

むしろ、鳥羽天皇の院政が続くことを意味していたのです。

崇徳天皇が父親に嫌われる理由は、祖父の子供だったから!?

なぜ、鳥羽天皇の第一皇子であった崇徳天皇がこれほど悲惨な目に合わなければいけないのでしょうか?

実は、崇徳天皇は白河法王の子供だという噂があったのです。

白河法王は崇徳天皇を異常なまでに可愛がっていたほか、鳥羽天皇の妻との不適切な関係もあったといいます。

自分の子供だと思っていた子が本当は父親と妻との子供だったとしたら、いたたまれない気持ちも分かりますが・・・。

鳥羽天皇の嫉妬と白河法王の院政による権力のない状況が、崇徳天皇へのいじめへと向かったのでしょう。

鳥羽天皇の崇徳天皇への憎しみは、これでは終わりません。

近衛天皇と名を変えた崇徳天皇の弟・体仁天皇が、なんと17歳の若さで亡くなってしまいます。

次の天皇の有力候補は、崇徳天皇の息子でした。 崇徳天皇の息子が天皇になれば、念願の院政ができ権力が手に入ります。

ところが、またもや崇徳天皇の弟であり鳥羽天皇の三男である皇子が天皇になってしまいます。

平安末期の政治の主役のひとり後鳥羽天皇(ごとばてんのう)の誕生です。

引用元: Wikipedia

その後政治の醜い争いに嫌気が差したのか、崇徳天皇は和歌や仏教の教えにハマっていきます。

「瀬をはやみ岩にせかるる滝川のわれても末に逢わんとぞ思う」

崇徳院の歌として百人一首に残される名歌ですが、離れ離れになった恋人が再会を誓う姿を川の流れに例えたといわれています。

一見恋愛の歌のように思えますが、崇徳天皇の生い立ちを知ってみると、政治の権力をつかめなかった未練のようにも感じられますね。

噂に狂わされる崇徳天皇!!濡れ衣で始まった保元の乱!!

引用元:Wikipedia

和歌や仏教の教えを趣味として、無害な天皇となった崇徳天皇

新しく天皇となった後鳥羽天皇は、そんな崇徳天皇の姿に安心してはいませんでした。

父親・鳥羽上皇が亡くなると、崇徳上皇にとって迷惑な噂が流れ始めます。

「崇徳天皇が政権奪回を狙っているらしい。」

崇徳天皇からすれば全くの濡れ衣でしたが、この噂を利用しようと後鳥羽天皇は源氏・平家に声をかけて兵を集めさせます。

またもや噂に左右され追い込まれる崇徳天皇。いかに呪われた人生であるかがわかりますね。

ついに勃発!!兄弟対決

鳥羽天皇や後鳥羽天皇に冷たくされてきた人たちがぞくぞくと崇徳天皇側に集まり、ついに合戦が始まります。

1156年の保元の乱と呼ばれる合戦です。

まさに後鳥羽天皇VS崇徳天皇の兄弟対決!!

ですが、始めからヤル気だった後鳥羽天応とは対照的に、崇徳天皇にとっては渋々始めた合戦。崇徳天皇側の負けは、簡単に予想できますね。

案の定後鳥羽天皇に負けた崇徳天皇は、天皇に歯向かった罪人として讃岐(今の香川県)に流されることになりました。

引用元:Wikipedia

これほどまでにツキもなく巡り合わせも悪い人生。

さらに恐ろしいことに、崇徳天皇の本当の恨みはこれからなのです。。

京都の人々が震撼した崇徳天皇の呪いの数々!!

保元の乱に敗れ讃岐に流された崇徳天皇の生活は、意外にも穏やかだったようです。

好きな和歌を作り仏教の教えを写す写経をしたりと、京都での醜い生活よりも本来の崇徳天皇らしい暮らしができていたのでしょう。

崇徳天皇は讃岐での穏やかな暮らしの中で、後鳥羽天皇に対し「京都の寺へ納めて欲しい」と五部大乗経というお経を写したものを送ります。

心からの謝罪合戦で死んでいった者たちへの供養の気持ちのつもりでした。

それに対し後鳥羽天皇は「呪いの言葉を書いてきたに違いない」と疑い、崇徳天皇へ送り返したのです。

崇徳天皇を京都から追い払っただけではなく、心を込めた謝罪と供養のお経さえも受け取らなかった後鳥羽天皇。

兄の崇徳天皇からすれば、これほど屈辱的なことはないですよね。

絶望のなかの悲しい死、そして呪いへ・・・

引用元:Wikipedia

崇徳天皇は、弟である後鳥羽天皇の自分に対する憎しみの深さを知り、大きく絶望します。

崇徳天皇の絶望は穏やかな暮らしを変え、爪も髪も伸ばし放題で見た目は夜叉のようになったといいます。

讃岐に流されてから8年後、深い悲しみのまま崇徳天皇は死んでいきました。

そして崇徳天皇が亡くなってまもなく始まる、呪いの数々・・・

  • 崇徳天皇の死体が入った棺は蓋をしていても、中から血が溢れる
  • 延暦寺の僧兵が武器を持って暴れまわる
  • 大火が起こり京都の三分の一が焼けてしまう
  • 平家打倒のクーデターが発覚

さらに保元の乱で後鳥羽天皇側へ付いた人たちが次々と亡くなり、後鳥羽天皇自身さえ病気になってしまったのです。

ただの偶然にしては、あまりにも事件が多すぎますよね。 京都の人々は崇徳天皇を冷たく扱った呪いだと噂しあったといいます。

無料登録で「漫画で読む 平家物語」を読む

「漫画で読む 平家物語」を読みたいならならU-NEXT動画配信サイトで無料期間中にみるのが1番お得!たくさんの無料期間を設定した動画配信サイトがありますがその中でも無料期間が1番ながいU-NEXTがおすすめです。

またU-NEXTはいち早くレンタル開始した映画やドラマをみることができ今話題の作品を視聴可能!

無料視聴期間が31日と他社よりも少しだけ長いU-NEXT!絶対お得ですね>>U-NEXT無料視聴登録

※本ページの情報は2020年4月時点のものです。 最新の配信状況は U-NEXT サイトにてご確認ください。

崇徳天皇の呪いが本当に怖いのは、今も続いている!?

「皇をとって民とし、民を皇となさん」

送り返されてきた五部大乗経を見た崇徳天皇は怒り狂い、自分の血でこのように書き足し、海に投げ捨てたと伝わります。

皇=天皇家のこと、民=民衆とすると・・・

「皇室が民衆の上に立つことを許さず、未来永劫、民衆の奴隷となれ」と解釈できますね。

そしてこの呪いの言葉は、すぐに現実となります。

天皇に代わって平家が政治の権力を握ると、源氏によって武家政治は完成され、政治の中心さえ京都ではなく鎌倉へ移ることになりました。

そして、室町時代を経て戦国時代から幕末まで、天皇が政治の権力を握ることはなくなったのです。

その間にも何度か天皇が中心となり政治の主導をつかもうとして起きた事件も、すべて失敗に終わっています。

これも崇徳天皇の呪いのせいかもしれませんね。

一度は天皇中心の政治を目指した明治時代でしたが、実際には軍部が政治を動かす時代となり、現代の天皇は「国の象徴」という権力とは無縁の存在になりました。

そして、日本の中心も東京となり、二度と京都に戻ることはないのです。

崇徳天皇が最強の怨霊と言われる理由は、まさにここにあるといえます。

崇徳天皇の呪い!?今も天皇家に続く怨霊伝説とは?まとめ

生きている間の崇徳上皇の恵まれない人生には、同情さえしてしまいます。

しかし、現代の日本が民主主義の国でいられるのは、崇徳天皇の呪いの言葉の効果だと考えられませんか?

崇徳上皇の呪いの言葉とは、「天皇というものは民衆のためになる良い政治をしなさい」という最後に残した教えだったといえるのではないでしょうか。

また、崇徳天皇の良い教えも“呪い”の言葉として伝わるところが、崇徳天皇にツキのないところなのかもしれませんね。

関連作品

  • 新・平家物語(1972年NHK大河ドラマ)
  • 平清盛(2012年NHK大河ドラマ)
スポンサー